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伊原春樹コラム

高橋一三さん、外木場義郎さん、山口高志。衝撃を受けた3投手のすごさとは?/伊原春樹コラム

 

月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。2020年8月号では現役時代に対戦した投手に関してつづってもらった。

高1で体感した投球に度肝を抜かれた


巨人日本ハムで通算167勝を挙げた高橋一三


 今回は私が現役時代、対戦した印象に残っている投手を記していきたいと思う。まずは高校時代だ。1964年、広島・北川工高(現・府中東高)に入学した私がシート打撃で初めて対戦したのが、のちに巨人などで活躍された2年先輩の高橋一三さんだった。マウンドに立った一三さんの左腕からそれまで見たことがない剛速球が右打者の私の胸元にピシャッと投げ込まれてきたのだ。いわゆるクロスファイヤー。このときの印象があまりに強烈だった。

 一三さんのボールを最初に見たからか、高校、大学(芝浦工大)時代に打席で度肝を抜かれるようなことはなかったように思う。例えば私の1学年下に福山電波工高(現・近大付広島高)の村田兆治(のちロッテ)がいた。浅野啓司(のち巨人ほか)と2枚看板。私は浅野とは対戦経験がなかったが、村田とは打席で相対したことがある。確かに豪快な投手だった。しかし、やはり一三さんの投球の残像が頭にあったので「ちょっと速いな」と思ったくらいで、特段脅威に感じることはなかったことを覚えている。私が3年生のとき、1学年下に広島商高の山本和行(のち阪神)もいて夏の県大会決勝で対戦した。好左腕で、われわれは完封負けを喫して甲子園出場を阻まれたが、やはり一三さんのほうがレベルは高いように感じたものだ。

 一三さんとはプロでも対戦している。私がプロに入って数年経ってからだったと思うが、西鉄と巨人がオープン戦で対決したときだ。私は高校時代のクロスファイヤーのイメージが残っているから、それに狙いを絞っていたが、最後は外へのスクリューで内野ゴロに打ち取られてしまった。高校のときの一三さんはストレートとカーブしかなかった。しかし、それだけではプロでは通用しない。一三さんはプロ2年目の66年にスクリューを覚えたというが、そのキレ味は抜群だった。プロ19年間で167勝をマーク。スクリューは一三さんの代名詞となった。

史上10人目の完全試合も達成している外木場義郎


 71年、私は芝浦工大からドラフト2位で西鉄に入団したが、プロでいきなり一三さん以来の衝撃を受けた。1年目に広島とのオープン戦で対戦したのが外木場義郎さんだった。68年から21勝、11勝、13勝をマークしており、65年に阪神相手にノーヒットノーラン、68年には大洋相手に史上10人目の完全試合を達成している大投手だ。キレのある直球であっという間に追い込まれると、最後はギュッと曲がるカーブで三振。外木場さんが振りかぶってボールが手から離れたかと思うと、あっという間にボールがキャッチャーミットに収まっているようなスピードのある直球で、カーブの変化もそれまでに見たことがないようなものだった。とにかく打席でびっくりしたことを覚えている。

迫力のあるフォームから剛速球を投げた山口高志


 75年、松下電器からドラフト1位で阪急に入団した右腕、山口高志も忘れられない投手だ。実際には170センチに満たない体ながら全身をフルに使った豪快フォームから投げ込む剛速球を史上最速と称える人は多いが、本当にただひと言、「速かった」と感嘆するしかなかった。低めにはほぼ来ない。直球のほとんどがベルト付近から胸元あたりに投げ込まれてくる。バットにかすりもしない勢いの直球に、さらにタテに落ちるカーブもあるから厄介だった。このカーブは、まさに視界から消える。高めの直球で追い込まれて、最後は高めからグッと曲がり落ちるカーブで打ち取られてしまう。小さい体だが、大きく感じる。私に打撃技術がなかったと言ったらそれまでだが、攻略にはお手上げの投手だった。

真横にヒュッと滑る本物のスライダー


 打席で嫌な変化球を投じる投手も多々いた。例えば阪急の米田哲也さん。言わずと知れた“ガソリンタンク”、史上2位の通算350勝をマークした大投手だ。私が西鉄に入団した71年は33歳とすでに晩年に差し掛かっていたが、そのころによく投じていたのがシュート。打者はやっぱり詰まらされるのが一番嫌なものだ。米田さんのグッと内角へ切れ込んでくるシュートで何度手がしびれたことか。

キレ味鋭いスライダーを投じた成田文男


 さらにロッテの成田文男さんのスライダーも抜群のキレ味を誇った。直球とほとんど変わらぬ140キロ台の球速で、打者の手元で鋭くヒュッと真横に曲がる。現在、スライダーは誰もが投げるが変化が大きく、私からすればカーブに見える。成田さんは本物のスライダー。例えればトンボだ。飛んでいるトンボを正面から捕まえようとすると、寸前でヒュッと真横に曲がって逃げると思うが、まさにそんな変化だ。もちろんコントロールも抜群。外角いっぱいの直球で追い込まれて、最後はその外角いっぱいから外へ逃げるスライダーで打者を打ち取る。外角への出し入れだけで勝負できる素晴らしい投手だったと思う。

 近鉄の清俊彦さんも印象深い。清さんは高鍋高から64年、西鉄に入団したが68年に近鉄へ移籍していた。球種は直球とカーブだけだったが、コントロールが抜群。さらにカーブの変化がものすごかった。清さんがカーブを投げる際、打席で「プチン」という音が聞こえたくらいだ。それほどまでにボールに回転をかけているということだろう。その音を耳にして、「カーブだ!」と思うのだが、それではもう遅い。グググッと曲がってくるカーブに対応することは容易ではなかった。

 別の意味でプロの厳しさを教えてもらった投手もいる。ロッテの小山正明さんだ。精密機械と称された制球力に、ゆったりとしたフォームからキレのいいボールを投げ込む右腕。パームボールもよく落ちた。阪神時代の62年には27勝を挙げて沢村賞に輝いている。64年東京(現・ロッテ)に移籍して、私が対戦したのは現役が終わるころだったが、何度目かの対戦のときに内角へ際どいボールを投じられた。思わずムッとして、表情に出してしまったが、そうしたら小山さんがマウンドから「なんや、この若造が」とすごんできた。そして、次の1球でボコンとぶつけられてしまった。このことをのちに西武コーチとなった小山さんに話したのだが、「覚えてないなあ」のひと言で返されてしまった(苦笑)。

球速が出ても打たれるクルーン


 総じて昔の投手にはしなやかさがあったように思う。現在の投手はウエートトレーニングで体を大きくし、スピードを求め、マウンドから力任せに投げているように感じられる。もちろん、打者の技術も昔と比べると上がっているのは確かだ。投手もそれに対抗して進化を目指している結果なのだろう。ただ、やはり、スピードガンの数字は出るが、打者の手元で伸びるようなボールにはなっていないように思うのだ。

 現在でもしなやかさを感じる投手はいる例えば涌井秀章岸孝之(ともに楽天)がそうだ。さらに、10年ほど前の藤川球児もしなやかさがあった。2007年から10年まで私は巨人でヘッドコーチを務めていたが、当時の藤川の直球の伸びはすさまじかった。巨人のクローザーだったクルーンも160キロに迫る直球を投げていた。しかし、クルーンの直球は打者がバットに当てる。一方、150キロ台中盤の藤川の直球は空振りが奪えた。やはり、その差はしなやかさがあるか、ないかだったと思う。柔らかく腕を使い、ボールに回転を与えていく藤川の直球は最後にひと伸びがきき、打者がとらえることができなかったのだろう。

 投球の真髄を感じられる投手を、また数多く見たいと思う。

写真=BBM
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