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来日当初は「無名の存在」が三冠王に 通算打率で落合博満を上回る強打者とは

 

外国人初の三冠王


本名はグレゴリー・デウェイン・ウェルズ。登録名がブーマーだった


 メジャーで実績十分の強打者が日本野球にまったく対応できないときがあれば、無名だった助っ人が大ブレークして期待以上の活躍をするケースもある。この外国人は典型的な後者の成功例だろう。阪急、オリックスなどで主軸として活躍し、外国人史上初の三冠王を獲得したブーマーだ。

 ブーマーは本名ではない。グレゴリー・デウェイン・ウェルズが本名だが、登録名は「ブームを呼ぶ男」の願いが込められてブーマーとなった。運動神経が良かったブーマーの夢はアメリカンフットボールの選手だった。オールバニ州立大では1975年のNFLドラフト16巡でニューヨーク・ジェッツに指名されている。ただ、NFL選手になれず、アマチュアFAで81年にブルージェイズに入団。翌82年にツインズに移籍したが、メジャー通算47試合出場で打率.228、0本塁打と目立った活躍はできず、83年に阪急に入団する。

 当時の阪急はランディ・バース(元阪神)の獲得を目指していた。だが、阪神との間で契約金の競り合いに。一方で、長打力がありながら三振の少ないブーマーも評価し、ツインズと交渉していた。ツインズはブーマーをメジャーに昇格させる予定だったため拒否したが、トレードマネーの支払を条件に移籍に応じ、阪急への入団が決定。バースの獲得レースから撤退した。阪急は年俸3000万円とトレードマネーを支払ったが、阪神のバースへの年俸支給額より安かったという。

 入団時はブーマーと同時期に阪急に入団したバンプ・ウィルスの方が注目度は高かった。メジャー6年間で通算196盗塁と俊足巧打のリードオフマンで、ブーマーの3倍以上となる年俸1億円の4年契約と破格の条件だった。だが、バンプは打撃不振で首脳陣と衝突するなど日本の野球に適応できず2年プレーして退団する。外国人の獲得は本当に難しい。

 ブーマーは来日直後の春季キャンプで場外ホームランが近隣の民家に飛び込んで金魚鉢を破壊するなど、ケタ外れの飛距離で話題になる。阪急の本拠地・西宮球場ではブーマーが打席に入った際に、バックススクリーンのアストロビジョンが直撃した打球で故障しないようにシャッターを下ろすことが検討されたほどだった。

 来日2年目の84年に打率.355、37本塁打、130打点で外国人選手初の三冠王を獲得。リーグ優勝に貢献し、MVPにも輝いた。87年に打点王、89年にも首位打者、打点王の2冠を獲得する。88年には西武戦で渡辺久信から西宮球場で飛距離162メートルの場外本塁打を放ち、89年の近鉄戦(藤井寺球場)でも、左翼席を指差す「予告本塁打」の後に、佐々木修から見事に左翼席にアーチを放った。

 身長2メートル、体重100キロを超える巨体から本塁打を量産したが、成功した理由はそれだけではない。日本でプレーした10年間で、規定打席に到達して打率3割をマークしたシーズンが7度。87年の43三振が自身のシーズン最多三振とミート能力が高いことでも知られた。現役最終年の38歳でダイエーに移籍し、打率.271、26本塁打、97打点で4度目の打点王を獲得。NPB通算打率.317は4000打数以上で落合博満を上回り、右打者の最高成績だ。ブーマーも「自分の本質はむしろアベレージヒッター」と自己分析している。

テレビCMにも出演


長い手足をうまく操って快打を連発した


 親日家でファンサービスに積極的でサインを断らないことでも有名だった。サインの下には「ブーマー」とカタカナで署名。長蛇の列ができても最後まで書き上げ、ファンに笑顔を見せるのが日常の光景だった。性格も繊細だった。86年の近鉄戦で小野和義から死球を受けた際、マウンド付近で大暴れして退場処分となったが、直後に相手捕手の梨田昌孝に謝罪。握手を交わしてからベンチに下がった。別の試合で死球後にマウンドを目掛けて走るシーンが湿布薬(パスタイム)のCMに使用され、ブーマー本人がそのままCM出演を果たしたことも。

 有名なエピソードは「門田脱臼事件」だろう。89年9月25日のダイエー戦でホームランを放った門田博光がブーマーとハイタッチして右腕を脱臼。この場にうずくまり、約1週間欠場した。ブーマーもひどく落ち込んでしまった。翌日の日本ハム戦は心に期する思いがあったのだろう。西崎幸広から本塁打を放ち、試合後のヒーローインタビューで「今日は何も言われなくても自然に燃えていた」と思いを口にした。

 引退後は代理人として、米国と日本の野球界の橋渡し役として活躍。ナイジェル・ウィルソン(元日本ハム)などを日本球界に送り込んだ。週刊ベースボールのインタビューでは、阪急時代の恩師で当時監督だった上田利治に「恩返しがしたかった」と語っている。日本通算1148試合出場で打率.317、277本塁打、901打点。日本を愛し、日本に愛された史上最強の助っ人外国人だった。

写真=BBM
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