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「守備で生き残る」と決意したきっかけは?【後編】/元中日・井端弘和に聞く

 

読者からの質問にプロフェッショナルが答える「ベースボールゼミナール」。今回は内野守備編。回答者は現役時代、7度、ゴールデン・グラブ賞に輝いた、元中日ほかの井端弘和氏だ。

Q.井端弘和さんはプロ入り後、「守備を磨いて生き残る」ことを思いついたと聞きました。何かきっかけになる出来事があったのですか? また、手本とした選手、先輩は誰でしょうか。(岐阜県・34歳)



A.ノックを受けることで自然と下半身と体幹が出来上がり下半身と体の軸(体幹)がバッティングの土台になる
 

中日時代の井端氏の華麗な守備


 前回の続きです。足が特別に速くもなく、打てるバッターでもない僕がプロの世界で生き抜いていくために、何が必要かを考えた結果、まず、何か一芸に特化して伸ばさなければいけないと思い、守備が真っ先に頭に浮かびました。その上で、「あいつはバッティングさえ良くなればレギュラーになれるのにな」と、思ってもらえるような選手を目指そうと考えたわけです。お手本にしたのは久慈照嘉(現阪神コーチ)さんで、久慈さんからいただいたグラブでしばらくプレーしていた、というところまでお話ししました。

 私が一軍に定着したのが3年目の2000年からで、翌01年からいわゆるレギュラーに。試合に出るために、一軍首脳陣に振り向いてもらうために「守備を磨こうと」とスタートしましたが、守備に対する姿勢、取り組みはレギュラー定着後も変わりませんでした。例えば、春季キャンプでは全体練習後、ひたすら特守(個人ノックです)を受けていましたが、何百、何千とノックを受けることで自然と下半身と体幹が出来上がり、守備練習でできた下半身と体の軸(体幹)がバッティングの土台にもなっていきました。下半身の使い方、という部分も同じですね。スイングが明らかに変わったと思います。

 まさに一石二鳥。今思うのは、逆じゃなくて良かったな、ということです。バッティングを後回しにして取り組んだ守備ですが、回りまわってバッティングに生きた。守備に自信がつけば「あとはバッティングだけ」という形で取り組んできましたから、首脳陣の立場に立って考えてみても使いやすかったのではないでしょうか。

 でも、チームのことを考えると、打てないよりも守れないほうが痛手が大きい。守備で防ぐ1点と、打って取る1点。同じ1点でも私は守備で防ぐ1点のほうが価値が重いと考えるタイプなのですが、皆さんはいかがでしょうか。5回打席に立って、1本ヒットが出れば2割、2本で4割。日本では4割打者は誕生していないわけですから、5回打席に立って1.5本(つまり3割)が良い選手となりますが、守備ではそうはいきません。5回打球が飛んでくれば、5回すべてアウトにするのが当たり前で、そうやって目には見えない1点を防ぐ。私はここにやりがいを見出していました。

<「完」>

●井端弘和(いばた・ひろかず)
1975年5月12日生まれ。神奈川県出身。堀越高から亜大を経て98年ドラフト5位で中日入団。14年に巨人へ移籍し、15年限りで現役引退。内野守備走塁コーチとなり、18年まで指導。侍ジャパンでも同職を務めている。現役生活18年の通算成績は1896試合出場、打率.281、56本塁打、410打点、149盗塁。

『週刊ベースボール』2020年11月9日号(10月28日発売)より

写真=BBM
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