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「イチロー、王より上」 NPB史上最速で通算2000安打達成した「天才打者」は

 

名選手から一目置かれた打撃


ロッテ時代の榎本(左。右は成田文男


 巨人坂本勇人が11月8日の本拠地最終戦・ヤクルト戦(東京ドーム)でプロ通算2000安打を達成した。31歳10カ月での達成は史上2番目の最年少記録だった。高卒2年目で遊撃のレギュラーに定着し、12年間で1シーズン平均157安打を積み重ねている。新型コロナウイルスの影響で開幕が例年より3カ月遅れたのも影響したが、この坂本より速い31歳7か月の最年少記録で通算2000安打を唯一達成した天才打者がいる。オリオンズの主軸として活躍した榎本喜八だ。

 榎本が5歳のときに太平洋戦争が勃発。集団疎開に出発する日、母親が病死する。戦争に出征した父親は終戦後もシベリア抑留され、しばらく帰ってこなかった。祖母と幼い弟と3人暮らしで貧しい生活を送る。戦時下の43年3月。友人の姉に連れられて後楽園球場へ観戦に行ったことが、野球を始めたきっかけとなる。球場の美しさと巨人の呉昌征青田昇大和軍の苅田久徳のプレーに強い印象を受け、極貧生活から家族を救いたいという思いからプロ野球選手を目指すようになる。

 早実に進学して3度甲子園に出場したが、当時はスラッガーとして飛距離は飛び抜けていたが粗さも目立った。テスト入団で毎日に入団すると、高卒1年目からレギュラーで打率.298、16本塁打と活躍。146安打、出塁率.414は高卒ルーキーの歴代最高記録で、ミート能力もさることながら1年目から2年連続最多四球と選球眼も並外れていた。

 その後は打率2割6分、7分台のシーズンが続いたが、59年オフに先輩の荒川博に合気道を紹介され、心身統一合気道の創始者・藤平光一に師事したことで、新たな境地を開く。合気道をヒントにして得た打法と呼吸を研究して精神面の強化を図り、打席内で体の力を抜く方法を会得。60年に打率.344で首位打者を獲得するなど、同年から4年連続打率3割をマーク。66年に打率.351で2度目の首位打者を獲得し、68年7月21日の近鉄戦(東京スタジアム)で鈴木啓示から右翼線に二塁打を放ち、通算2000安打を達成した。

 榎本の打撃は球界の名選手たちからも一目置かれていた。インパクトの際に強く踏み込み、身体を沈めて下半身の力で豪快に引っ張る。緩急や難しい変化球にも体の軸がまったくぶれず、美しい打撃フォームだった。西鉄の主力として活躍した豊田泰光は「打撃のうまさでは史上最高の一塁手。とにかく打てないコース、高さというものがほとんど存在しない。この点では、川上哲治さんや大下弘さん、イチローより上。これは断言できる。すごいの形容しか見つからない打者」と生前に語っている。

 元南海の広瀬叔功も「ボールを見逃し、ストライクを打つ。好球必打は野球における鉄則だが、それを徹底的に実施したのが、この榎本氏だった。恐ろしいばかりの選球眼。1年目に97四死球を選んだのは、偶然でも何でもない。彼の選球眼からすれば、必然の結果だろう。審判の判定にクレームをつける時、榎本氏は親指と人差し指を1センチほど広げて『今の(ボール)はこれだけ外れていましたよ』と平然とした顔で言っていた。大雑把な私には想像できない選球眼だったが、彼が言うと妙に説得力があった。1センチの差が分かる眼力にはただただ感心して敬服したものだ」と述べている。榎本と王貞治を指導した荒川博も「バッターとしての完成度は王より榎本の方が上」と論じるほどだった。

独特の感性、世界観


器具を使ってトレーニングする榎本


 榎本の感性、世界観は独特だった。臍下丹田(せいかたんでん)に気持ちを鎮め、そこを体の中心として指先や足先などの体の隅々までを臍下丹田と結び(五体を結び)、連結させるというトレーニング方法を実践するようになる。このトレーニングをすることで体の隅々が意識され、自分の臓器の位置までが分かったという。だが、榎本の打撃理論は難解すぎて周囲になかなか理解されなかった。「繊細でクソ真面目」と言われた性格も影響したのかもしれない。感情をコントロールできず精神的に追い込まれて孤立することも。2000安打を達成した4年後の72年に現役引退する。通算2222試合出場で打率.298、246本塁打、979打点。2314安打を積み重ねた。

 引退後は打撃コーチの就任を望んだが、どの球団からも声がかかることはなかった。引退後はメディアに露出することが皆無だったため、消息も伝わってこなかった。12年3月14日に大腸ガンのため、東京都内の病院で死去。75歳だった。

 豊田は自身の著書で、「打撃に関し、あれほど純粋で情熱的な人間を知りません。変わりもんと言えば変わりもんで、一塁守備についていても、気になるのは打撃で、ついつい構えている」と振り返り、「何せ孤高の人ですから、周りからは敬遠されがちだったんだけど、榎本君のいくところ、不思議なくらい、いつも少年たちが群がっていたんです。守備中に打撃のポーズを取っているような選手は仲間には迷惑だったろうけど、子どもたちだけは一つのことにそれだけ夢中になれることのすごさを知ってたんだろうね」と綴っている。打撃を極めることに人生を捧げた純粋無垢な天才打者だった。

写真=BBM
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