一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 加藤初がほっと一息「やっとゆっくり眠れる」
今回は『1972年4月17日号』。定価は100円。
黒い霧で球界を永久追放となった元西鉄の
池永正明。
ヤクルトの松園オーナーが「球界に復帰させてもいいのでは」と発言し、話題になっていた。池永は、
「うれしいよ、まだ未練はある。平和台のマウンドで1球だけでもかまわん。もう一度、試合で投げてみたいんだ」
後援会が地道な復帰活動を続けていたが、なかなか成果が出ず、2月3日には中洲で売りに出されていたスナックを買い、「ドーベル」という名で開店していた。
「いまユニフォームを着たら何勝できるかって? さあ、まあ5、6勝くらいは自信があるよ」
船田和英をヤクルトに譲渡する際、西鉄側が松園オーナーに依頼した発言では、というウワサもあった。
その西鉄に大昭和製紙からドラフト外で入団したのが、
加藤初。真っすぐを高めにドンドン投げ込むタイプだが、オープン戦では痛い目も見ていた。本人は「このピッチングしかできないんで」と涼しい顔だったが、実は悩みもあったようだ。
1イニングだけだが、しっかり無失点に抑えた試合の後、
「やれやれ、今晩は一人でぐっすり眠れる」
とポツリ。
実は、点を1点でも取られると、河村コーチの部屋に呼ばれ、強烈で長時間の説教があったらしい。
加藤は会社に言われ、この年はプロ入りをしないはずだったが、ドラフト会議が終わって2、3日後、退社届を用意し、プロ入りを直訴したらしい。
ヤクルト、
巨人らからも誘いがあったが、
「巨人には行く気がなかった。下位チームで自分が入って少しでも上にいける原動力になれたらね」
と話していた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM