週刊ベースボールONLINE

HOT TOPIC

低身長で各球団が指名回避も、「日本一の遊撃手」と呼ばれた守備の名手は

 

「平成の牛若丸」と称されて


軽快な遊撃守備は抜群安定感を誇った


 現役の遊撃手で「守備の名手」として思い浮かぶのは西武源田壮亮ソフトバンク今宮健太だろう。源田は俊足を生かした広い守備範囲、ハンドリング、安定した送球で他の選手の追随を許さない。近年は故障で満足に出場できていないが、今宮も高い身体能力を生かしたダイナミックなプレーで魅了してきた。特に三遊間の深い位置から強肩でアウトにする守備は華麗だった。源田の柔らかさと今宮の力強さ。過去に「日本一の遊撃手」と呼ばれた男は、この両選手の長所を組み合わせた守備職人と形容しても大げさではないだろう。ロッテ巨人楽天でプレーした小坂誠だ。

 難しいプレーをいとも簡単にこなす守備にすごみが凝縮されていた。打球に対する反応速度がほかの選手より速く、ムダのない動きでいとも簡単にアウトを取る。横っ飛びなど派手なプレーが少ないのは、最初の一歩で打球が飛ぶ位置を予測している証だった。華麗さと泥臭さを兼ね備えた守備で、「平成の牛若丸」、「小坂ゾーン」と称された。誰もが欲しくなる選手だが、167センチという低身長を理由に各球団はドラフトで指名を回避していた。

 小坂は宮城県山元町出身。中学卒業後に、仙台育英高のセレクションを受けたが不合格で、地元の柴田高に進学する。2年でレギュラーを獲得したが、3年夏は県大会ベスト8と甲子園出場は叶わなかった。社会人野球・JR東日本東北で5年間プレーし、97年にドラフト5位でロッテに入団する。96年はアトランタ五輪が開催されて日本代表は銀メダルを獲得していた。日本代表のメンバーだった井口忠仁松中信彦谷佳知今岡誠らが上位で指名されて注目される。小坂はこの時点では無名の存在だった。

 だが、1年目から遊撃手のレギュラーを獲得。3.4月の月間MVPを獲得し、全135試合出場して二番でチーム最多の38犠打、新人最多記録の56盗塁と躍動する。俊足を生かした安定感あふれる遊撃の守備も高い評価を受けて新人王に選ばれる。この活躍で背番号が「00」から、2年目で早くもチームを象徴する「1」に変更する。守備に定評があったが、攻撃面でも貢献度は高かった。2年目の98年に、松井稼頭央と並ぶ43盗塁で盗塁王に輝くなど、プロ野球史上初の「40盗塁・40犠打」を達成。4年目の00年も33盗塁で2度目の盗塁王を獲得。01年に史上2人目となる入団から5年連続30盗塁をマークする。

ロッテの後は巨人、楽天へ


 職人のような雰囲気で多弁ではなかったが、ロッテの看板選手としてファンから根強い人気を誇った。しかし、04年にボビー・バレンタイン監督が就任すると風向きが変わる。スタメンを固定しない方針で、腰痛にも悩まされたことから04年は89試合出場にとどまる。05年は118試合出場で打率.283、4本塁打と自己最高の成績で31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献し、通算4度目のゴールデン・グラブ賞も受賞したが、同年オフに金銭トレードで巨人に移籍する。同じ内野で若手有望株の西岡剛が台頭してきたことがトレードの一因ともいわれたが、ロッテファンからは反発の声が殺到した。

 巨人で移籍1年目の06年にプロ通算1000安打をマークしたが、92試合出場で打率.183と打撃不振に。07年は56試合出場、08年は13試合出場と減少する。コーチ就任の打診を受けたが、現役にこだわり同年オフに金銭トレード楽天へ。代走や守備固めで09年に105試合に出場したが、10年は椎間板ヘルニアの影響もあり、球団の戦力構想から外れたため現役引退を決断した。

 プロ14年間で1371試合出場、打率.251、19本塁打、303打点、279盗塁。引退後は楽天、日本ハム、巨人で内野守備走塁コーチを務め、18年にロッテに13年ぶりに復帰。現在は二軍内野守備走塁コーチを務める。現役時代に遊撃でゴールデン・グラブ賞を争った松井稼頭央、川崎宗則は華やかだったが、小坂も2人とは違う味わいがあった。決して恵まれた体格ではなかったが、「日本一の遊撃手」と呼ばれたコーチから指導を受けられることは、若手にとっても貴重な時間になるだろう。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング