一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 唯一開催の試合途中で……
今回は『1972年4月24日号』。定価は100円。
お釈迦様の誕生日、4月8日が開幕日となった1972年だが、全国的に冷え込み、雨模様となる地方が多かった。
関西、九州のゲームはすべて中止。川崎の大洋─
ヤクルトは2回でノーゲーム、後楽園の
巨人─
広島も中止となった。
唯一、13時開始の東京球場の
ロッテ─近鉄の試合が進行していたが、2回終了時点で事件が起こった。
3回の守備に就こうとしてベンチから飛び出したロッテの
山崎裕之を
大沢啓二監督が引き止める。何やら話すと山崎の血の気が引き、そのままベンチ裏に消えた。
話は少し戻るが、13時の試合開始直前、ロッテに夫人が病院に運ばれたという一報が届いていた。
大沢監督は、そのとき、
「交通事故かなんかかなと思って、最初は言わなかったが、重大さが分かって本人に伝えた」
と言う。
交通事故ではない。山崎夫人は自宅で暴漢に刺されていた。
状況はこうだ。この日の12時40分ごろ26、7歳の男が区役所職員を名乗って山崎家に訪れ、住民票に印鑑が欲しいと言ってきた。夫人が男を家にあげると、男は夫人を縛り上げ、騒がれたためナイフで刺した。
幸い命に別状はなく、自ら母親に電話をし、母親が警察に知らせた。
山崎は、
「信じられない。うちの女房が何をしたというんだ」
と憤った。
当時、ほぼ住所、電話番号に関し、個人情報の観念はなかった。
記者も監督、選手の家を訪ねての取材が当然のように行われていた。
しかし、以前、東映の
大杉勝男の話も載せたが、この年は有名人の家への強盗が頻発。巨人・
長嶋茂雄のように警備会社に警備を頼んだり、番犬を飼う例も増えてきた。
巨人の選手などは定期的に電話番号を変えるようになっていたという。
大沢監督がすぐ山崎に伝えなかったことへの批判もあったようだ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM