週刊ベースボールONLINE

日本人メジャーの軌跡

日本人選手初のワールド・シリーズ出場 “記憶に残る男”新庄剛志/日本人メジャーの軌跡

 

2001年12月、新庄はメッツからジャイアンツにトレードされた。予期せぬ出来事に驚いたというが、求められての移籍。02年2月の入団発表では「新しいお客さんを増やし、日本人客も増やし、サンフランシスコ・ツアーも増やします」とやる気を口にした。ジャイアンツとしては1964、65年の村上雅則投手以来の日本人選手。戦力としてだけでなく、集客力にも期待を寄せたのだった。

「整形手術は必要なかった」


ジャイアンツ時代の新庄


 今季アストロズのダスティー・ベイカー監督がリモート会見で、日本の報道関係者から「ツヨシ・シンジョーが美容整形に3000万円ほどをかけたと告白したのだが、どう思うか」との質問を受けた。これにベイカー監督は最初驚いたような表情を見せてから「シンジョーはもとからハンサムだったから、整形手術など必要なかったのではないか」と、笑顔で答えていた。

 2002年、ベイカー監督の下で新庄はプレーした。それから18年。ベイカー監督はしっかり、しかも好意的なイメージで覚えていた。この年ジャイアンツは新庄に一番打者として期待した。4月2日、ドジャースとの開幕戦では「一番・センター」で先発。無安打2三振と不本意な出足だった。その後もいい結果が出ない。新庄自身「一番打者だからボールをよく見ていけと言われている。積極的に打てないと自分らしさが出せない」と悩んでいた。

 4月下旬には七番に落ちた。7月下旬には右太腿裏を痛めて故障者リスト入り。その間、ホワイトソックスから「一番・センター」としてケニー・ロフトンがトレードで加入して、新庄の出番は減っていった。

 チームはワイルドカードでプレーオフ進出。快進撃で13年ぶりにワールド・シリーズへコマを進めた。新庄は第1戦に指名打者で先発出場。日本人選手としてシリーズ初出場を果たし、初安打もマーク。だが3試合で6打数1安打。持ち味を発揮することができず。11月には解雇された。

 03年の1月にメッツと契約。ボビー・バレンタイン監督から代わったアート・ハウ監督のもとでチャンスに恵まれず、62試合の出場で打率.193、1本塁打、7打点という寂しい数字しか残せず。結局メジャーでは3年間で303試合の出場で打率.245、20本塁打、100打点だった。数字は芳しいものではなかったが、冒頭のベイカー監督のように多くの人の記憶に残った選手だった。(文中敬称略)

『週刊ベースボール』2020年12月7日号(11月25日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング