週刊ベースボールONLINE

平成助っ人賛歌

64試合で30号到達、3年間で154発、180メートル弾…西武・カブレラの衝撃とは/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

異様な筋肉のつき方


2001年、西武に入団したカブレラ。凄まじい肉体を誇った


「今までパ・リーグはメディアの露出が少なかったので、これを機会にいろいろな選手のことを知ってもらえたんじゃないかと思います。パ・リーグにもこんなにいい選手がいるんだぞ、ということを全国のファンに」

 セ・パ交流戦が始まった2005年、5勝0敗で初代MVPに選ばれた優勝球団ロッテ小林宏之は『週刊ベースボール』のインタビューにそう答えている。「巨人を相手に勝てたのは僕の中ですごく自信になりましたし、テレビで全国に流れるチャンスはロッテではほとんどないので、自分をアピールできてよかったです」という15年前の言葉は、日本シリーズでソフトバンクが巨人相手に圧倒的な強さを見せた2020年に聞くとノスタルジーすら感じてしまう。

 そんな当時の小林宏之を「対戦して最も燃える投手」と評したのが、西武のアレックス・カブレラである。オリックスイチローがメジャー移籍した2001年に日本へやってきた無名の助っ人大砲は、王貞治が持つシーズン55本塁打超えへの挑戦も話題となり、近鉄のタフィ・ローズとのド派手なホームラン合戦でパ・リーグへの注目度を一気に高めた。まだ29歳、身長185cm、体重100kg超えの筋肉マンは毎日のウエートトレーニングで鍛え上げ、腕周り58cm、胸囲115cmの肉体を手に入れる。その太い首や大胸筋の盛り上がり方はプロ野球選手というより、プロレスラーのロード・ウォリアーズのような異様な筋肉のつき方だった。

 間違いなく、デビュー直後のインパクトでは、平成の外国人史上屈指だろう。なにせ来日1年目、4月を終えた時点で、打率.367、17本塁打、40打点でいきなり月間MVPを獲得。代名詞は高校球児たちもこぞって真似をした、打席で構える際にバットをかつぎ上げ背中を反らせる一連のムーブと、その超怪力と球界一のスイングスピードから放たれる場外弾だった。5月26日のダイエー戦で若田部健一のフォークボールをすくい上げた打球は、西武ドーム左翼側の屋根に直撃してはね返り場外の通路へ落ちる170メートル弾。8月12日、近鉄戦で大阪ドームの左翼席後方の壁にぶち当て、カブレラは「壁に当たらなければ190メートルは行っているよ」なんて豪語した。わずか38試合で21本塁打、64試合で30号に到達。当然、日本記録超えも期待されたが、後半はそれを意識するあまり打撃を崩し三振の山を築き、最終的には49本塁打。55本を放ったローズとのキング争いは熾烈を極めた。

2年目にさらに増した凄味


2002年のシーズン中、西武ドーム外にはカブレラ地蔵なるものが設置された(右は息子のラモン君)


 日本球界に突如現れた21世紀のマッスルスラッガー。71年にベネズエラで生まれた男は、少年時代は痩せっぽちの投手だった。91年5月のドラフトでカブスから指名され、傘下にあるドミニカ共和国のチームへ。だが、いつまで経ってもマイナーをたらい回しにされ、野球からの引退を決意するも母親から説得されプレーを続けたが、96年12月にカブスをクビになってしまう。そこからはメキシカン・リーグ、台湾球界と世界各地を転々として、2000年にダイヤモンドバックスと契約。すでに10年選手の28歳になっていたが、その年、2Aのエルパソで53試合35ホーマーという大爆発を見せ、6月末にメジャー昇格。初打席初本塁打デビューを飾るが、7月に故障にも見舞われ、打率.263、5本塁打と不完全燃焼に終わる。しかし、凄まじい打球を飛ばす選手がいると日本球団スカウトの間で話題となり、2000年12月に西武はカブレラの契約をダイヤモンドバックスから譲り受けた。

 そして来日1年目の01年にいきなり49本塁打を放った背番号42の打棒は、翌02年にさらに凄味を増す。序盤は腰痛に悩まされ、ようやく本塁打が出始めたと思ったら、6月18日には筋肉の張りで出場選手登録を抹消。その時点で18本塁打とトップのローズとは10本差をつけられていたが、サッカーの日韓W杯決勝戦でブラジル代表がドイツ代表を下し優勝を決めた翌日、7月1日の日本ハム戦で10試合ぶりに戦列復帰すると、19号アーチを放ち、カブレラ劇場が幕を開ける。この月は11本、西武ドーム一塁側ゲート前に“カブレラ地蔵”も設置される人気ぶりに気を良くしたのか、8月は打率.442、15本塁打、32打点の固め打ちで、もうどうにも止まらない。スポーツ新聞一面もブラジルの点取り屋ロナウドから、ベネズエラのバズーカ砲カブレラへ。

 なお101試合で40号到達は64年に55号を放った王とまったく同じペースだった。打率.329もリーグ3位。平成初の三冠王と55号更新が騒がれだすと、さらにギアを上げ、9月前半の7試合で6本を打って、117試合目に50号到達。チームがリーグ優勝を決めた直後に欠場するも、10月2日の近鉄戦で日本タイ記録の55号を放ち、残り5試合での新記録達成は確実視されたが、力みまくって空回り。最終戦となった14日のロッテ戦はいつもの四番ではなく、「一番・一塁」で先発出場したが、7回の最終打席で三振に倒れ、ホームラン王に輝くも日本新記録の更新はならなかった。

3年間で計154本塁打


2002年10月2日の近鉄戦で当時日本タイ記録の55本塁打をマーク


 しかし、この2002年のカブレラは強烈だった。来日2年目、愛息ラモン君と大相撲観戦に出かけるなど異国の生活にも馴染み、打率.336、55本塁打、115打点、OPS.1.223。推定150メートル以上の特大アーチを12本もかっ飛ばし、12試合欠場した128試合の出場にもかかわらず、447打数で55本の本塁打率8.1(約8打数に1本の割合)。これは64年の王8.6、01年のローズ10.0を上回った。チームが巨人に4連敗を喫した日本シリーズでも打率.357、2本塁打とひとり気を吐き、日米野球ではNPBチーム側で出場し2試合連続の本塁打を放ち、翌年からヤンキースへ移籍する松井秀喜との夢のクリーンアップは大きな話題となった。もちろん当時の週べでもカブレラは頻繁に取り上げられ、02年9月23日号では巻頭インタビューを飾り、堂々と絶好調宣言をかましている。

「調子がいいときというのは、ピッチャーの手しか見えないんだ。ボールが手から離れるところから、ずっとボールが見えている感覚ですごく打ちやすい。調子が悪いとピッチャーを全体で見てしまう。だからフォームでごまかされて、タイミングを外されてしまうんだけど、絶好調のときは離れる瞬間だけに集中できているので、ボールが非常に大きく見える。今はそんな状態になっているね」

「確かにレフトへのホームランは多いよね。結果的には引っ張っているかもしれないけれど、それは気持ちを右中間に置いている中で、たまたまインコースにボールか来て自然に体が回転してレフトへのホームランになっているんだよね。自分の懐にボールを呼び込む、ということが重要なんだ。そして、それが今できている」

 不思議な男だった。スーパーパワーとロジカルさを併せ持ち、年々三振数が減り、打率はコンスタントに3割台を記録する。かと思えば、取材依頼には陽気に「ゴマンエン〜」なんつってなんだかよく分からないギャグを飛ばし、敬遠攻めに怒りいきなり左打席に立ったり、バットを逆さに持って抗議したりする気分屋の一面もある。カブレラがシートノックをサボりコーヒーを飲んでいたことに伊原春樹監督が怒り、試合でDH起用したら、通訳を伴い「守らないとリズムが出てこない。一生懸命にやるから守らせてくれ」と謝罪に来たという。2003年も西武ドームの電光掲示板「HR」表示の上を直撃する160メートル弾、千葉マリンスタジアムの左翼駐車場に停まる車のテールランプを破壊する特大アーチ等を連発して50本塁打を記録。3年間で計154発の驚異的なハイペースで、380試合目の150号到達はもちろん史上最速である。 04年はオープン戦で右手首に死球を受け骨折しながら、約3カ月後の6月21日に戦列復帰すると、ペナント64試合25発に加え日本シリーズでも3本塁打の活躍でチームを日本一に導く。

05年に放った衝撃の一撃


2005年6月3日の横浜戦では推定180メートル弾を三浦(左)から放った


 プロ野球史上最高の飛ばし屋、アレックス・カブレラの代名詞とも言えるホームランが交流戦初年度の05年6月3日の横浜戦、三浦大輔から放った一発だ。打球はインボイスSEIBUドーム左翼席のはるか上方、高さ約60メートルの天井通気孔部分を直撃してグラウンドに落ちた。「打球が外野のフェア地域の屋根に触れたら本塁打」のグラウンドルールによって、本塁打認定された当たりは、あまりの打球速度と角度に審判や選手もボールを見失い、西武の伊東勤監督も「あんなの初めて。野球じゃないね」と呆れる推定180メートル弾。ちなみにこのとき使用したバットは普段より軽く、直前の名古屋遠征で中日タイロン・ウッズと交換し、当日初めて使ったものだったという。

 カブレラは07年まで西武の顔としてプレー、08年からオリックス、11年にはソフトバンクと渡り歩き、NPB12年間で通算357本塁打を放った。そのあまりの飛距離にアメリカ時代からステロイド疑惑はあったが、14年には禁止薬物の使用により一時メキシカン・リーグから追放されてしまう。

 それでも、FAや逆指名ドラフトでセ・リーグに注目選手が集まりがちだった2000年代初頭、その規格外の超特大ホームランをきっかけに、パ・リーグの迫力と凄味をカブレラのバットから知った野球ファンは多い。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング