週刊ベースボールONLINE

プロ野球20世紀・不屈の物語

吹き荒れた野茂英雄の“トルネード旋風”。門田博光の「イチ、ニ、サン!」/プロ野球20世紀・不屈の物語【1990〜92年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

村田、江夏、鈴木、そして……


88年オフ、南海がダイエーに買収され九州へ移転すると、門田はオリックスへ移籍した


 パ・リーグ各チームのエースたちに対して、南海(現在のソフトバンク)の門田博光が「微妙な駆け引き」で対峙してきたことは、何度かにわたって紹介してきた。最大のライバルだった阪急(現在のオリックス)の山田久志がシーズン限りで現役を引退した1988年に、門田も大きな転機を迎える。40歳にして初めて全試合に出場して、44本塁打、125打点で打撃2冠。“中年の星”や“不惑の大砲”と呼ばれ、40歳を指す“不惑”は流行語にもなり、初のMVPにも輝いた。

 だが、南海はダイエーに球団を譲渡し、本拠地も大阪から福岡へと移転することに。門田は転居を嫌がって、山田が去り、やはり阪急から生まれ変わったばかりのオリックスへ移籍した。南海でアキレス腱を断裂してからは外野を守る機会が激減、気持ちを切らさないためにベンチで立ちっぱなしだったという門田だが、オリックスには石嶺和彦がいたこともあり、指名打者として“併用”。守備機会も増えたが、それでも33本塁打を放つ。翌90年も31本塁打。ただ、この90年を最後に、ロッテ村田兆治が引退。これで、かつて名勝負を繰り広げたエースたちの姿は、グラウンドから完全に消えてしまった。

 村田のウイニングショットはフォークボールだったが、これを分かっていても打てなかった門田は、村田に聞こえるように「直球勝負しよう」と“挑発”して、ストレートを投げてくるように“誘導”したという。南海の先輩で、兼任監督でもあった野村克也のような“ささやき戦術”は、やはり南海でチームメートだった日本ハム江夏豊に対しても用いられた。ただ、語りかけたのは江夏ではなく、球審。故障や持病のため、制球力と投球術で勝負するようになっていた江夏に対して、微妙なコースを球審がストライクと判定すると、「江夏のほうが実力が上やから、しゃあないな」と言い残してベンチへ。抗議ではなく、球審の意表を突く言葉で心理的に揺さぶったのだ。

 そのうち、それまでストライクと判定していたコースをボールと判定するようになる。驚くのは江夏だ。ストライクを取るために、抜群の制球力で甘いコースに投げざるを得なくなり、それを門田は狙い打つ。球審を揺さぶることで間接的に江夏を揺さぶり、時間をかけて江夏との対戦を門田のペースに持っていったのだ。

 これまで唯一、門田のライバルとして紹介できなかったのが近鉄のエース。通算317勝を残した左腕の鈴木啓示だ。全盛期の速球は打てず、やや衰えてきてから打てるようになったというが、鈴木への戦略はシンプル。ひたすら「イチ、ニ、サン!」のタイミングで振り抜いた。鈴木は85年シーズン途中に突然、引退。近鉄に新たなライバルが登場したのは、村田のラストイヤーでもある90年だった。ドラフトで8球団が競合し、近鉄が交渉権を獲得した野茂英雄だ。

「ええ三振ができた」


92年、最後はダイエーのユニフォームで現役生活を終えた


 時代は流れ、門田も年齢は重ねた。だが、門田は門田だった。野茂から公式戦1号を打つのは俺だ……。“トルネード投法”からの剛速球をターゲットにした門田は、もっとも軽い920グラムのバットを調達、ゴルフ場を借りて毎朝のランニングに励む。そして、ひたすら繰り返したのが「イチ、ニ、サン!」の素振り。鈴木と同じ攻略法だ。のちに確執もあったという“水と油”の鈴木と野茂だが、門田にとっては同じ近鉄の速球派ということなのだろうか。おそらくは、チームの勝利すらも優先順位を下げている状態だっただろうから、それすらも些末なことなのかもしれない。そして4月18日の近鉄戦(日生)、ついに初対決を迎える。このとき、野茂21歳、門田は42歳だった。

 門田はチームメートに「野茂からホームランを打つな」と言っていたというから念が入っている。2回表、門田の第1打席。野茂が門田に投じた初球は、門田の「イチ、ニ、サン!」のフルスイングで右翼席に突き刺さった。これが、のちにメジャーで長く活躍することになる野茂の、公式戦で最初の被本塁打だった。

 そのオフに門田はダイエーとなった古巣へ復帰して、92年までプレー。奇しくも、最後の打席でマウンドに立ったのも野茂だった。野茂が投じたのは3球。すべて渾身のストレートだった。これに対して、門田も渾身の、いや、それ以上に豪快なフルスイングで、すべて空振りで三振。本塁打にこだわり、エースの攻略に執念を燃やし続けた男は、「最後に、ええ三振ができた」と語った。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング