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プロ野球20世紀・不屈の物語

あの新庄剛志が「野球をやめます」と言った日/プロ野球20世紀・不屈の物語【1990〜2000年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

背番号63からの飛躍


引退騒動が沸き起こった95年の新庄


 新庄剛志がにぎやかだ。20世紀を知るファンには、トライアウトに参加する姿を見て、思わず顔をほころばせた人も少なくなかったのではないか。ほとんどの選手が背水の陣で臨むトライアウト。もちろん、つい数日前までプロの球団でプレーしていた選手たちとは立場も違う。だからこそ、どことなく悲壮感が漂うトライアウトの舞台で、ますます新庄の存在が異彩を放ったのかもしれない。

 ただ、古いファンにとっても、20世紀の新庄は、21世紀に北海道へ移転した日本ハムでのド派手な活躍に上書きされた面もあるだろう。21世紀の2001年に生まれた若いファンには、プロ野球に興味を持ったころには、すでに新庄はプロ野球選手ではなくなっていたかもしれない。現役を引退してから、それくらいの長い時間が経っているということでもある。阪神で敬遠球をサヨナラ打にした場面はテレビでも流されていて、この連載でも東映(現在の日本ハム)の土橋正幸中日松本幸行を紹介した際に触れた。

 阪神へ入団したのは1990年。ドラフトの指名も5位と上位ではなく、与えられた背番号も63番だった。もちろん、近年のように大きな背番号を好む選手が少なくない時代ではない。新庄も入団会見でプロ野球について「あまり好きじゃなかった」とコメント。九州なまりの朴訥な印象からの意表を突く発言に、会見は爆笑に包まれたが、背番号63の18歳に寄せられた期待は大きなものではなかった。

 それでも、2年目の91年には一軍デビュー。代打で初打席初安打、初スタメン初打席初球初本塁打という、今から振り返れば新庄らしいファーストシーンだった。翌92年にブレーク。果敢なヘッドスライディングで沸かせた亀山努と“カメシン・コンビ”で売り出して、阪神も優勝を争う快進撃、最終的には2位に終わったものの、新庄が若き猛虎としてファンに認められたシーズンとなった。1週間に1000通を超えるファンレターが届いたと言い、のちの“トリックスター”という印象より、まだ“アイドル”的な横顔を持つ若者だったことが分かる。

 続く93年には背番号5に変更。その翌94年にはファン投票で球宴にも初めて出場する。順調に実績を積み上げているように見えたが、そんな矢先の95年オフ。第1期(?)の現役時代を通じて常に話題を振りまき、そのほとんどで明るい印象を残した新庄だが、そんな中で唯一、明るさだけでは語れない“事件”が起きた。契約更改では「阪神をやめたい。環境を変えてほしい」と移籍を志願した新庄だが、徐々に発言が野球との決別をにおわせるものになり、12月19日に会見を開くと、「自分には野球に対するセンスと能力がないので野球をやめます」と語った。今は再びプロとして野球に取り組もうとしている新庄だが、このときは“引退宣言”だった。

「無謀」と言われたメジャー挑戦


2000年オフ、FA宣言をしてメジャー移籍。01年はメッツでプレーした


 気持ちが入らない仕事をするよりは、気持ちが入った仕事をするほうがいい。そこまで思い詰めていた。背景にあったのは95年シーズン途中から指揮を執り、正式に就任したばかりの藤田平監督との確執。“鬼平”ともいわれた厳しい指導で知られた藤田監督だったが、それは昭和を知る人なら多くが幼少期に経験したような昔ながらの面が大きく、このとき、すでに時代は変わっていた。ただ、会見でも新庄には悲壮感はなく、発言も2日で撤回。現役を続け、藤田監督は翌96年9月に不振の責任を取って辞任している。

 復帰した吉田義男監督を挟み、99年に就任した野村克也監督とも確執が心配されたが、意外と(?)うまくいった。開幕までに立ち消えとなったが、オープン戦までは投手としても練習して、“二刀流”も話題を呼ぶ。開幕すると四番に座り、打線の中心に。敬遠球サヨナラ打もあったシーズンだ。自己最多となる28本塁打を放った2000年オフにFA宣言。「やっと自分に合った野球環境が見つかりました」と新天地に選んだのは、メッツだった。オリックスイチローがマリナーズと契約したばかりのタイミング。まだまだ野手のメジャー挑戦は未知数で、新庄にも「無謀」という声が集まった。

 この2020年オフの挑戦も、無謀といえば無謀なのかもしれない。ただ、そんな声よりも、期待の声のほうが大きいように思う。「無謀」なメジャー挑戦でも結果を残したからだろう。メッツ1年目は打率.268。メジャーでも、日本の一軍どころか二軍でも、打率は2割7分の前後という不思議な打者だった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM、Getty Images
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