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プロ野球20世紀・不屈の物語

因縁の江川と初めての投げ合い。小林繁の「野球生活の中で最大の“わずらわしさ”が終わった」/プロ野球20世紀・不屈の物語【1978〜83年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

「何より野球が大好きです」


1980年、小林(左)と江川の2ショット


 1978年のドラフト前日。いわゆる“空白の1日”に巨人江川卓と契約する。巨人への入団を夢に、それまで2度のドラフトで指名されても拒否し続けてきた“怪物”は、ドラフト史上、後にも先にも例がない事件の主役、それも“悪役”となっていくことになる。その“犠牲者”は巨人の小林繁だった。

 プロ4年目の76年にブレークして、2年連続18勝でリーグ連覇に貢献した変則サイドハンドたが、79年、キャンプに向かう羽田空港で球団の職員に“拉致”されると、まだプロの経験がない江川との“トレード”が告げられる。“事件”は、紆余曲折を経て、江川をドラフト1位で“獲得”した阪神から巨人への移籍という形で決着しようとしていたのだ。まさに茶番劇だったが、それが公然と現実になろうとしていた。

 世間が騒然となるもの当然だっただろう。注目は“犠牲者”小林にも集まってくる。だが、そういう視線を誰よりも嫌っていたのが小林だった。会見を開いた小林は、毅然と「僕は同情されたくありません。江川くんの犠牲で阪神に行くわけじゃない。僕は阪神に請われて行くんです。むしろ幸せだと思います。僕は今でも、巨人が好きだし、阪神も好き。何より野球が大好きです。マウンドで全力を尽くすことが使命だと思っています」。もちろん、この騒動の問題は江川だけにあるわけではない。ただ、皮肉にも、この小林の颯爽とした姿により、複雑怪奇な事態は、江川がヒールで小林がヒーロー、という単純な二元論に収斂されてしまったのかもしれない。

 5月いっぱいまでの一軍登録を見送られ、初登板のマウンドで深々と頭を下げた江川の一方で、小林は開幕から快調に勝ち進んでいった。巨人戦では無傷の8勝、シーズン22勝で初の最多勝に。巨人の連覇に貢献した77年に続く2度目の沢村賞にも輝いた。巨人の王貞治は、かつてのチームメートでもある小林のサイドスローにタイミングが合わず、トレードマークの“一本足打法”を捨てて、“二本足”で打席に立ったことも。このとき2安打を浴びた小林だったが、「あの王さんが僕のためにスタイルを変えた。それだけでうれしかったですね」と声を弾ませた。

 ただ、こうした活躍も小林の“悲劇のヒーロー像”を強固なものにしていったようにも思える。この79年は江川との投げ合いがなかったが、小林には江川の名前がつきまとっていた。小林が江川に投げ勝つ姿を見て溜飲を下げたい、というのも人情なのだろうが、事態は小林の思いとは真逆の方向へと進んでいったのだ。

江川は「最大の……」


阪神時代の小林のピッチング


 翌80年。小林は阪神2年目、江川もプロ2年目を迎えるシーズンに、ついに2人の投げ合いが実現する。8月16日、かつては小林のホームグラウンドでもあった後楽園球場が舞台だった。軍配は江川に上がる。ある意味、この結果により、世間で期待されていた「小林に江川に投げ勝ってほしい」というドラマは勢いを失っていったのかもしれない。

 ただ、これが江川に小林を強く意識させたのも事実。176球を投げ抜いた江川は「人生最大の勝負という気で投げた。ここで負けたら、僕はずっと小林さんの下になってしまう」と興奮を隠さなかった。一方の小林は、やはり淡々。「野球生活の中で最大の“わずらわしさ”が終わった」と静かに語っている。しかし、小林はもちろん、自分の希望を押し通すことになった江川でさえも、自分だけの思い、自分のペースだけで生きているわけではない。勝負であれ、“わずらわしさ”であれ、両者にとって「最大」と表現する出来事であり、この試合まで両者にとっての「最大」の屈託だったことも間違いなさそうだ。

 この80年に江川は16勝で初の最多勝、翌81年には自己最多の20勝を挙げて2年連続で戴冠、さらに防御率2.29で最優秀防御率にも輝き、MVPにも選ばれた。一方の小林は数字を下げたが、安定した活躍を続ける。どこか日常に戻ったような、落ち着きを取り戻したようにも見えた。だが、13勝を挙げた83年オフに突如として引退を発表。開幕を前に「15勝できなかったらユニフォームを脱ぐ」と宣言していて、有言実行の引退だった。

 ちなみに、江川の現役引退は4年後の87年オフ。やはり突然の引退だった。奇しくも、江川もラストイヤーは13勝。因縁の2人だったが、対照的なようで、どこか似ている2人だったような気もする。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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