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平成助っ人賛歌

落合監督も認めたM・ジョーダンの元同僚で世界一経験者、中日・アレックス/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

野球に挑戦したM.ジョーダン


2003年、中日の一員となったアレックス


 1994年、地球上で最も有名なバスケット選手が、野球選手になった。

 NBAのシカゴ・ブルズで、三連覇を達成した直後のマイケル・ジョーダンである。全盛期に突然の引退発表と野球選手への転向宣言。不慮の事故で最愛の父を亡くし、皆に憧れられるロールモデルでいることに心身ともに疲弊し、野球少年だった子どものころの夢への挑戦を決意した。彼はバスケ界では背番号23の“神”だった。だが、野球では背番号45をつけたホワイトソックスのマイナー・リーガーとしてプレーする。

 カーブをまったく打てず、外野守備もフェンス際のフライを落球したが、その成績に関係なく、カメラも観客も31歳のオールド・ルーキーに注目した。野球選手としての日々を追った『マイケル・ジョーダン リバウンド』(B・グリーン/文春文庫)には、チームメイトの若者たちがある日突然、自分たちのロッカールームに現れたスーパースターに戸惑う様子も描かれている。「ほんとうに不思議さ。すごくいい人なんだ。ここにおれたちと一緒にいる理由がわからないよ」と。ジョーダンがポケットマネーで新調したチームバスには、試合後に対戦相手の選手たちが記念写真やサインを求めて次から次へとやってくる。どんなに将来有望な野球選手も、ジョーダンの前ではただの脇役扱いだ。

1994年、野球に挑戦したバスケット界のスーパースター、M.ジョーダン


 野球は高校生の時以来、約15年ぶり。実力的には当然ルーキー・リーグのレベルだが、広報部が弱くて押し掛けるマスコミをさばききれないので、2Aのバロンズでプレーすることに。当時はその転身をスターの気まぐれと馬鹿にする風潮もあったが、ジョーダンは真剣そのものだった。早朝からマシンで苦手な変化球打ちを特訓、手の平はボロボロになり、バスケのプレーに支障が出ると言われても野球用の筋肉をつけた。打率.202、3本塁打。リーグ5位タイの30盗塁。最後の1カ月は打率.260を打ってみせた。野球の神にはなれそうもない。だが、メジャー昇格にならいつか手が届きそうだ。最終的にジョーダンは終わりの見えないストライキにより野球に別れを告げ(代替選手での出場を拒否)、95年春にブルズへの復帰を決断。ドジャース入りした野茂英雄とすれ違う形でバスケットコートに戻ると、2度目のスリーピートを達成することになる。

ミラーの契約不履行問題で


レッドソックスでのプレーを選んだケビン・ミラー


 さて、そのジョーダンとアリゾナ秋季リーグのスコッツデール・スコーピオンズでチームメイトだった無名の若者が、のちに日本の中日ドラゴンズへ入団するアレックス・オチョアである。メッツでのメジャー昇格2年目には、デビューから22試合目でサイクル安打を達成。強肩を生かした外野守備には定評があり、MLB6球団を渡り歩き、前年の02年にはエンゼルスで世界一も経験していた。そのアレックスが来日したのは、2003年(平成15年)正月明けの平成助っ人界を揺るがした、あの事件がきっかけだった。そう、t.A.T.u.の『ミュージックステーション』ドタキャン事件……じゃなくて、中日の新外国人選手として入団を予定していた、ケビン・ミラーの契約不履行問題である。

 2年契約で中日がミラー獲得を発表したのが03年1月11日。移籍金120万ドル(約1億4400万円)を受け取ったマーリンズは中日への譲渡を前提に、ミラーの身分を自由契約選手にするべくウエーバー公示した。日本行きが決定している選手に対してメジャー他球団は獲得に動かない日米の紳士協定、いわば長年の慣例がある。だが、1月15日に補強で後れをとっていたレッドソックスがミラー獲得レースへ緊急参戦。すると、当初は日本行きへ前向きな姿勢を見せていたミラーもメジャーの名門チームからの横やりオファーにグラリ。やがて、夫人の家庭問題やアメリカとイラクの緊迫した社会情勢を理由に契約の白紙撤回を訴えた。

 これには結婚式当日に花嫁をさらわれた的な中日の山田久志監督も「本当に頭に来ている。これから頭を冷やして考える。今年の構想が成り立たなくなったんだからな。怒りのぶつけようがないんだからな」なんて憤り、ミラー側の代理人すら「日本に行かなければ大変なことになる」と説得したが、あくまでミラーはレッドソックスでのプレーを主張。レッドソックスからの金銭補償を含めた交換条件も提出されたが、すでに身分上は中日の支配下選手として公示されていたため、西川球団社長は「日米プロ野球の問題として、日本のコミッショナーと相談しながら慎重に対応していきたい」と語った。しかし、本人の意思に加え、MLB選手会が介入する騒動になったため、中日は2月5日にミラーとの交渉を事実上、断念すると発表した。

野球ファンの度肝を抜いた好返球連発


強肩を誇った外野守備。2004年にはゴールデン・グラブ賞を獲得


 ちなみに、この年の新語・流行語大賞にも選ばれるテツandトモが歌う『なんでだろう 〜こち亀バージョン〜』のCD発売も同じく2月5日……というあまり重要ではない情報は置いといて、開幕前に消えた四番打者。そこで代役助っ人として2月下旬に緊急獲得したのが、当時30歳のアレックスというわけだ。MLB通算8シーズンで打率.279、46本塁打。1年契約で推定年俸250万ドル(約3億円)。ミラーと比較すると迫力不足が懸念されたが、03年3月28日、東京ドームでの巨人との開幕戦に「四番・中堅」で先発出場。あのボビー・バレンタインも「メジャーで1番の肩」と認めた、挨拶がわりのセンターからの好返球連発は全国の野球ファンの度肝を抜いた。

 四番を期待された打撃は開幕54試合目(6月4日)に10号アーチを放つ好スタートを切るも、チャンスに滅法弱く得点圏打率1割台と低迷し、消化試合の終盤に盛り返したものの打率.294、21本塁打、65打点、OPS.834でフィニッシュ。高年俸がネックとなり残留は微妙だったが、新監督の落合博満は『週刊ベースボール』03年10月27日号の独占インタビューで、アレックスをこう擁護した。

「(打撃成績は)助っ人にしては物足りないという人はいるかもしれない。でも、あの強肩がディフェンス面でどれだけ貢献してくれたか。アレックスと福留孝介の右中間は、プロ球界随一のレベルといっても過言ではない。そんな助っ人を1年目で帰してしまう手はないと思う」

 なお当時新人監督の落合は「一軍と二軍では、コーチの仕事の内容はまったく違うんですよ。比較できない仕事に昇格も降格もないでしょう」とメディアに中日首脳陣に関しては「昇格」「降格」という表現は使わないでもらいたいと釘を刺す、オレ流らしさも早々に見せている。背番号22から4に変更したアレックスは、04年に史上初の日米サイクル安打を記録。打率と本塁打は前年と同じながらも89打点を挙げ、チームの5年ぶりリーグ優勝に貢献すると、ゴールデン・グラブ賞にも輝いた。

「食事全般は問題ないんだよ。むしろ日本の方がいいくらい。料理の一皿の量が日本の方が少ないでしょ? ボクはいろいろな種類を食べたいから、あれは助かるんだ。野球でもそうだね。最初は毎日シートノックをやったり、コーチの発言力がメジャーより大きいことに戸惑いはあったけど、今ではこちらの方がコンディションがよくなるってことに気づいたんだ。オープンマインド。いいものは取り入れる考えが大切だと思ってるよ」

最後は広島で引退


 厳格な父親に環境に適応することの大切さを教え込まれ、ワールドチャンピオン経験者のプライドにしがみつかず、アレックスは日本の文化や野球を理解しようと務めた。05年から大砲タイロン・ウッズの加入で打順や求められる役割も変わり、06年は打率.273、15本塁打、77打点。初出場のオールスター戦では、アメリカから招待した父・カルロスさんの前で、ホームランを含む猛打賞で優秀選手に選ばれた。ペナントでは8月22日のヤクルト戦で、延長12回に前打者・森野将彦を敬遠されてからの怒りのサヨナラ打といった印象的な活躍を見せ、2年ぶりのリーグVを達成。しかし、年々下降する打撃成績に加え、加齢により自慢の守備に衰えも感じさせ、この年限りで中日を退団する。

 07年はアメリカに戻り、春先はマイナー・リーグでプレーしていたが、6月に広島カープで日本球界復帰。翌08年は打率.306、15本塁打、76打点をマークしたものの、来季開幕時に37歳の年齢とリーグ最多の21併殺打もネックとなり自由契約に。この年限りで現役を引退した。NPB6シーズンで通算847安打、97本塁打、416打点。中日入団直後に見せた強肩はレーザービームというより、バズーカ砲のような迫力があった。

 そして、数字以上にその野球に対する真摯さとひたむきさでファンに愛された選手でもある。中日4年目の06年、オープン戦で打撃不振に陥ったが、言い訳をせず若手選手に負けじと汗だくでバットを振り込むアレックスを見つめ、落合監督はこう言ったという。

「見てみろよ、あの姿勢を。あの気持ちがある限りアレックスは大丈夫だ。誰よりも必死にひたむきにやってるだろ。心配なんてしちゃないさ」

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM、Getty Images
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