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ドラフト外で史上最多の通算165勝 長嶋茂雄が絶賛した「雑草男」は

 

キレ味鋭いシュートを武器に


81年、日本ハムとの日本シリーズでMVPに輝いた西本


「ドラフトの順位は関係ない」

 プロ野球界に伝わる格言を体現した男がいる。ドラフト外入団で史上最多の通算165勝をマークした元巨人西本聖だ。

 西本は松山商高で好投手として名を馳せていたが甲子園出場は叶わず、ドラフト外で巨人に入団する。打撃投手でも全力投球するなど野球に向き合うストイックな姿勢と並外れた練習量で、首脳陣にも一目置かれるようになる。高卒2年目の1976年に一軍デビューを飾ると、77年は8勝をマークして一軍に定着した。

 直球とほぼ球速が変わらず、キレ味鋭いシュートで内野ゴロの山を築いた。当時の長嶋茂雄監督は西本のシュートを初めて見たとき、「このシュートは天下一品のシュートだ。これだけで勝てる」と絶賛。好調時は外角から内角にえぐってくるほどの変化だったという。

 ライバルの存在も発奮材料になった。79年に加入した1学年上の江川卓とエースの座を競い合う。81年に自身初の開幕投手を務めて18勝で沢村賞を受賞するなど、80年から6年連続2ケタ勝利をマーク。剛速球で三振の山を築く江川と対照的な投球スタイルで、派手さはないが黙々と凡打に打ち取る。投手で最多タイ記録となるゴールデン・グラブ賞を8回受賞し、打撃でも通算11本塁打をマークするなど、投球以外の能力も非常に高かった。

 大舞台にも強かった。西本はその理由について、週刊ベースボールのインタビューでこう分析している。

「開幕試合もそうですけど、大一番が好きでした。なぜなら、自分の価値を見いだせる場だからです。勝てば世間に認めてもらえる。西本聖はドラフト外で入団した。誰も期待などしていなかった。そんな私が開幕のマウンドに立つことになり、そこは『西本聖』をアピールできる。自分の価値を示す絶好の場ですから、喜んで立つことができました」

 81年の日本ハムとの日本シリーズでは第2戦(後楽園)で完投勝利、第5戦(同)でも13安打を浴びながら要所を締めて完封勝利で日本シリーズMVPに。83年の日本シリーズ・西武戦でも第2戦(西武)に先発して27アウトのうち21が内野ゴロと本領発揮して完封勝利を飾る。日本一は逃したが、29イニング連続無失点記録はいまだ破られていない。

最後は巨人でユニフォームを脱ぐ


95年1月、多摩川グラウンドで行われた手作りの引退試合では長嶋監督(右)も訪れた


「雑草男」と呼ばれた男は不屈の精神ではい上がる。88年に4勝で終わると、中尾孝義との交換トレードで加茂川重治とともに中日へ。移籍1年目の翌89年に自己最高の20勝6敗、防御率2.44で最多勝と最高勝率を獲得した。90年にも11勝をマーク。その後はオリックスを経て、古巣・巨人のテスト入団を受けて94年に復帰するが、一軍登板機会はなく、同年限りで現役引退した。

 この年は巨人が最終戦まで中日と優勝争いを繰り広げ、ペナントレース最終戦となる10月8日の中日と直接対決でリーグ優勝が決した。西本の引退試合が実現しなかったため、95年1月21日に巨人で同期入団の定岡正二が西本を取材していたメディア関係者と引退試合を企画。多摩川グラウンドで行われた試合に桑田真澄宮本和知川相昌弘与田剛山本昌広立浪和義平井正史ら西本を慕う選手たちが集まった。当時の監督だった長嶋茂雄も始球式のために駆けつけ、最終回に代打でサプライズ登場。恩師との対決で、20年間の現役生活に終止符を打った。

 通算504試合登板で165勝128敗17セーブ、防御率3.20。倒れても、倒れても、何度もはい上がる。その生き様に影響を受けた人は多いだろう。濃厚な野球人生だった。

写真=BBM
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