一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 パでは南海・江本が台頭
今回は『1972年5月15日号』。定価は100円。
セ・パで思わぬ台頭をした伏兵投手を2人。
まずは、開幕から好調を維持し、4月は4勝1敗で終えた巨人・
菅原勝矢の記事からいく。
秋田県出身。67年に11勝を挙げたが、しばらく伸び悩んでいた右腕だ。
独特の担ぎ投げから投じる重い速球が武器だが、気が弱く、
藤田元司コーチからは「びびんちょ」と呼ばれていた。
この男、いろいろな記録を持つ。
たとえば、66年8月21日、初登板のサン
ケイ戦(神宮)で初登板初先発初完封。
67年5月18日の
阪神戦(甲子園)での2勝目は、1安打完封勝利、さらに、この年の8月15日、同じく阪神戦(甲子園)で1球勝利、1日置いた同カードで5回雨天
コールドの完封勝利。71年9月6日の
ヤクルト戦(神宮)では6回までの雨コールドでのノーヒットノーラン。
そして、この72年途中まで続いた11連勝。
71年まで通算20勝とは思えぬ勝ち運がある、いや、そこまでしないと勝てないと考えると、勝ち運がなかった男、とも言えるか。
パでは南海の
江本孟紀。前年東映入りし、1年でトレードされた男だ。
一軍未勝利ながら開幕2戦目の先発で南海デビュー。
西本幸雄監督は「ほんまか」とあ然。それでも
野村克也監督は、「この試合、うちが勝ちますよ。賭けますか」と声をかけ、西本監督がさらにムッとした。
結果は延長13回、完投負け。最後は死球押し出しの自滅だった。
野村監督は記者に向かい、
「これで分かったやろう。江本は今年のうちの投手陣の軸や」
と胸を張った。
その南海で話題になっていたのが、
門田博光の愛妻弁当。12球団で弁当持参は門田だけとも言われた。
「食堂に行って、みんなでわいわい言いながら食べると気が散ってしまう。ゲーム前の精神統一ができなくなってしまうんだ」
さすがカド
ヤン。若手時代から違ってた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM