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プロ野球20世紀・不屈の物語

野村克也が紡ぐ不屈の物語、その“行間”/プロ野球20世紀・不屈の物語【1954年〜】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

「お前はムリや、ほかの世界へ行け」


南海時代の野村


 野村克也は達筆だった。書道への造詣が深くはないが浅いわけでもない程度の筆者が断言するのは不遜な気もするが、無難に換言すれば、野村のサインは、ほかの選手とは一線を画す味わい深いものだ。引退した選手を含めて、ほとんどのプロ野球選手はカッコいいサインを滑らかに、そして素早く書くものだが、野村のサインは一筆入魂というか、丁寧であり、それでいて書き手の思いが行間にもあふれているようなものだった。

 いつから筆に心を配るようになったのかは分からない。ただ、プロ野球の選手であれ監督であれ、筆が達者なのは不可欠な条件ではないことは確かだ。だが、不要なものだ、と決めつけることはできない。少なくとも野村は、そこに何かしらの学ぶものがあると考えていたのではないか。

 野村の若手時代、テストを受けて南海(現在のソフトバンク)へ入団した1年目オフに解雇を告げられ、頼み込んで残留して、初の本塁打王に輝くまでは紹介したばかりだ。残した名言の数では群を抜き、言葉も巧みに使いこなした野村だが、プロ野球選手としての素質に恵まれていたわけでなく、なかなか芽が出ず、期待されることも少なかった時代から、どんなことを“言われてきた”のだろうか。

 1年目のオフにクビを宣告されたときには、球団社長に「わしらの目はな、素質があるかないか、見ればすぐに分かるんだよ。お前はムリや。ほかの世界へ行け。いずれ球団に感謝するときがくる」と言われたという。似たようなことを言われた読者もいるはずだ。まだ19歳、実績もない野村が絶望しかけたのも当然だろう。だが、この球団社長のいう「目」が、いわゆる節穴だったことは歴史が証明した。厳密には、野村の不屈が逆境を覆したのだ。

 野村は1961年に2度目の本塁打王に輝くと、翌62年から6年連続で本塁打王、打点王の打撃2冠。63年はプロ野球新記録の52本塁打を放ち、64年は攻守で優勝、日本一の立役者となった。だが、そのオフには打率.262という数字を突かれて20パーセントもの減俸を提示されている。「南海ホークスは好きだけど南海球団は嫌い」という“名言”が飛び出したのは契約更改を終えたときだ。

 その翌65年が42本塁打、110打点、打率.320で三冠王。このときも、あらためて歴史が振り返られ、1リーグ時代、2季制だった38年の秋季に活躍した巨人中島治康が“初代”三冠王に認定され、野村は“戦後初”となっている。これは中島の時代に三冠王という概念がなかったのだから仕方のないことだが、その65年オフに鶴岡一人監督が勇退し、就任したばかりの蔭山和夫監督が急逝したとき、復帰した鶴岡監督には、そのショックと酒に酔った勢いもあったのだろうが、「なにが三冠王じゃ。南海のために身を犠牲にしたんは杉浦じゃ」と言われたという。

キャリアの象徴


野村の直筆の“名言”


 杉浦とは、野村とバッテリーを組んできたエースの杉浦忠。59年の巨人との日本シリーズで血豆をつぶしながら4連投4連勝を飾り、その後は故障に苦しむようになったから、杉浦の不屈も紛れもない事実だ。だからといって、野村の貢献が否定されることにはならないだろう。努力は前提だとしても、結果を残しても報われるとは限らないというのは、やはり残酷だ。

 だが、その後の野村は兼任監督に就任。73年の“死んだふり”優勝、野村の下で“再生”した投手たちについても紹介してきたが、恵まれない戦力で勝ち抜くこと、芽が出ない選手の持ち味に気づくこと、ともに野村のキャリアを象徴する快挙のようでもある。プロ野球の選手として、そして監督として、一流を極めた野村だが、プロ野球のようでいてプロ野球ではない微妙なところに無数の逆境があり、そこでの苦闘からも多くのものを学んだのではないだろうか。

 話を冒頭の、野村の筆に戻す。余談のようだが、決して余談ではない。その行間には、野球の道を進んでいても野球のことを学ぶだけではダメだよ、という野村の思いがにじみでている気がする。だとすれば、プロ野球は遠い世界だが、そんな夢の舞台を眺めている我々の日常にも、プロ野球の歴史から学ぶものがあるはずなのだ。この連載も野村の“行間”に強い影響を受けことを告白しておく。野村のサインには、こう書かれていた。

野球に学び 野球を楽しむ

「野球」には「しごと」というルビが振られていた。多才な野村だったが、そのド真ん中に野球があったことも確かだ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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