3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 菅原が顔面血まみれに
今回は『1972年7月24日号』。定価は100円。
7月4日、札幌遠征での
巨人─阪神戦。
牧野茂コーチは「こりゃ頭の痛い日になった。我々はこれからコンクリートの上で野球をやることになったよ」とこぼした。
地面がガチガチ。あとはスタンドが観客の白いシャツ一色なので、ボールがとにかく見づらい。
福田昌久コーチは「きょうはグラウンド条件を生かしたほうが勝ちだ」と言って、試合前は内野ノックに時間をかけたが、ビジターの阪神は練習時間が短いこともあってか、特別な対策はしなかった。
実際、試合は荒れた。延長11回7対7の試合だが、阪神は
田淵幸一の2ラン、
和田徹の3ランも守っては4失策もあり、7失点のうち投手の自責は1だけだった。
しかもケガ人も続出、阪神先発の
江夏豊が
末次民夫の打球を左ヒジに受け、9回には巨人の二番手で投げた
菅原勝矢が
安藤統夫の打球を顔面に受けた。
菅原の姿を間近で見た巨人・
王貞治は「血がふき出して目にしたたり落ちていた」と話す。左まぶたの上ですぐ縫合手術をしたが、この時点では目への影響は分からなかった。
夕方、一度宿舎に戻っていた江夏が病室の菅原に見舞いに来た。取材で一緒になり、以後、意気投合したという。
「俺のほうは大したことがなかったよ。まさか同じ日にこんなことになるとは」
と江夏がなぐさめた。
菅原は退院後、江夏にお礼を言うため宿舎に電話をしたら当てた安藤が出たと笑っていた。
「マウンドから見ると、円山球場はネット裏の記者席の高さまではボールがよく見えるんですが、それ以上に高くなると客席の白と一緒になってボールが見えなくなる。目の前で高く弾んだので、ボールを見失った。でもあと1週間もすれば大丈夫だと思いますよ」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM