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プロ野球回顧録

年俸1億5000万円も…10試合出場で解雇された「巨人の助っ人打者」は

 

「メークドラマ」の陰で


期待は大きかったが、開幕から結果の出なかったマント


 巨人広島に11.5ゲーム差まで離されたが、鮮やかな逆転優勝を飾った1996年。当時の長嶋茂雄監督の造語「メークドラマ」が流行語大賞を獲得した年に、わずか10試合出場でひっそり日本球界を去った助っ人がいた。元巨人のジェフ・マントだ。

 マントは95年にオリオールズで三塁のレギュラーとして活躍。4打席連続アーチを放つなど89試合出場で打率.256、17本塁打をマークした。31歳のメジャー・リーガーは年俸1億5000万円で翌96年に巨人に入団する。クロマティと同じ背番号「49」を背負い、2月の春季キャンプでは広角に鋭い打球を連発。紅白戦で木田優夫からレフトスタンドへ弾丸ライナーの初アーチを放ってメディアにも大きく取り上げられたが、徐々に雲行きが怪しくなる。

 オープン戦でわずか1安打。直球に差し込まれ、変化球にも体勢が崩れてバットが空を切る。三塁の守備でも拙守を連発。若手成長株の吉岡雄二が好調だったことから、「吉岡を三塁で使うべき」という声が高まった。開幕してからもマントの調子が上がる気配がなかった。開幕戦で3三振、2戦目も2三振とバットにボールが当たらない。初安打は22打席目。「このユニフォームは記念に取っておく」と声を弾ませたが、あと1打席で外国人ワーストに並ぶところだった。

 低調なパフォーマンスに、渡辺恒雄オーナーは「あれじゃあ、マントじゃなくて『トンマ』だな」、「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」と発言するなど苛立ちを隠せなかった。長嶋監督は「彼はテンプル大卒で頭がいい。我々ボンクラじゃ入れません」と擁護したが、低調な助っ人に批判の声は高まるばかり。出場10試合で27打数3安打、打率.111、0本塁打、1打点となったところで限界を迎えた。外国人枠が当時3人までで、救援陣強化でマリオ・ブリトーを起用したい首脳陣の意向もあり、4月23日に遠征先の宿舎で戦力外通告を受けた。

「ダメ外国人」として日本で名が通ってしまったが、誰とでも仲良くなれる性格で、ファンサービスにも快く応じていたことから人格者として知られていた。巨人退団後はメジャーに定着できなかったが、マイナー3Aのバッファロー・バイソンズで内外野のポジションを守り、コンスタントに2ケタ本塁打を放つなど活躍。マイナー暮らしが長い選手では異例の30代中盤まで現役を続けたことや、97、98年にチームの優勝に貢献したこと、選手間の人望も厚かったことから、2000年の現役引退時にマントの背番号30がバイソンズで「永久欠番」となった。

 日本では失意の結果に終わり、アメリカでもメジャーに定着できず289試合出場で打率.230、31本塁打、97打点。マイナー生活が長かったが、36歳までプレーしたことを考えると、野球が心の底から好きだったのだろう。

写真=BBM
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