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週べ60周年記念

レジェンド・広瀬叔功の逆襲/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

4月11盗塁と荒稼ぎ


南海・広瀬



 今回は『1972年6月5日号』。定価は100円。
 
 3年連続盗塁王を狙う阪急の福本豊だが、そこに思わぬ伏兵、いや、隠れた超大物が登場した。
 1961年から5年連続盗塁王、当時の通算最多盗塁記録の保持者、南海・広瀬叔功である。
 この年は36歳になるシーズン。年齢を重ねて盗塁数は減っていたが、4月になんと11盗塁、福本の5を大きく引き離した。
 ただ、福本と比較する声に対しては、
「あっちはあっちや。ワシは盗塁のための盗塁はせん。マイペースで走るだけや」
 とまったく気にしていなかった。

 しかし、広瀬が通算550盗塁の記録を達成したとき福本が、
「広瀬のおっさん、さすがですねえ」
 と言っていたと聞いて、カチン。
「おっさんと言われるほどの年ではないつもりやがな」
 と燃えたという。

 広瀬は20盗塁も福本より早い5月20日に達成。ただし、福本は翌日2盗塁で広瀬を抜いている。その後を考えると、福本のペースメーカーとなった感もある。

 ちなみに広瀬は、盗塁数を増やすコツでもある三盗をほとんどしない。もし失敗したときのチームのダメージが大きいからだという。

 南海の話をもう一つ。
 メジャー・リーグでは投手経験もあった南海の新外国人外野手スミス(左腕)。ただ、最後の登板は68年で、もう4年前だった。
 野村克也監督が、そのスミスを5月16日の阪急戦で先発させた。阪急のオーダーに左が多かったからだと思うが、結果はボコボコ。野村監督は試合後、マスコミから猛烈な批判を浴びたが、起用の理由の説明も、打たれた言い訳もいっさいしなかった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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