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パ・リーグ在阪3球団のスパイ合戦/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

野村克也の名人芸?


表紙は大洋・平松政次



 今回は『1972年6月12日号』。定価は100円。
 
 パの在阪3球団のスパイ合戦が華やか(?)になってきた。
 一番最初は67年ごろから始めた阪急。西宮球場のスコアボードの空いた窓から捕手のサインを覗き込むというもので、肉眼でも人影が確認できるほど堂々とやっていた。
 これに対し、近鉄の三原脩監督(当時)が68年から始めたのが乱数表のサイン。バッテリーのグラブとミットに解読表を貼りつけてサインをやり取りするもので、三原監督はヤクルトでも同じようにやっている。

 阪急に対抗するように南海、近鉄もスタンドに忍者部隊を送っていたというが、こちらはそこまで大っぴらではなかったようだ。
 ただ、その盗んだサインを別にリアルタイムで伝えていたというわけでもなさそうだ。
 というか、当時の技術ではおそらく無理(昔、メジャーではグラウンドに電線を通し、打席の選手に電流で使えていたこともあったという話もあったが)。データの集積と、相手に「見ているよ」とアピールし、幻影におびえさせる効果を狙ったようだ。

 南海・野村克也監督は、
「バックスクリーンにスパイがいた。サインを全部読まれていた。それに気がついてサインを変えたら途端に打者のタイミングが合わなくなった」
 と言っていたが、
 阪急・西本幸雄監督は、
「どこに行くか分からん投手を相手にサイン盗んでも仕方がないぜ」
 と笑っていた。

 西本監督も二塁走者の覗きや三塁コーチのスペンサーから打者への伝達については否定していなかった。クセ盗み、サイン盗みが選手の技のように言われていた時代である。

 打席でのサイン盗み名人と言われていたのは、実は野村だった。
「あれにはコツがあるんや。まともには見れないから、バットでホームベースをコツンコツンとたたきながらチラっと見るんや」
 と本人も自慢げに話し、
「プロの打者なら球種が分かれば90パーセントはジャストミートできる。そうすれば70パーセントはヒットにできるだろう」
 と言っていた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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