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プロ野球回顧録

親日家で投手キャプテンも 最速160キロの「巨人最強助っ人リリーバー」は

 

史上4人目の160キロをマーク


巨人でリリーフとして長年、活躍したマシソン


 巨人史上「最強の助っ人セットアッパー」と形容されているのがスコット・マシソンだ。NPB在籍8年間でマークした174ホールドは外国人史上最多。人格者として知られ、外国人投手では異例の投手キャプテンに抜擢されるなど首脳陣、ナインの人望が厚い「優良助っ人」だった。

 カナダ出身のマシソンは2006年にフィリーズでメジャー昇格したが、右ヒジ痛で2度のトミー・ジョン手術を受けるなど度重なる故障に苦しんだ。メジャー通算15試合登板で1勝4敗、防御率6.75。三振奪取能力は高かったが、制球難が課題だった。

 11年オフに巨人に入団。新守護神候補として期待されたが、2月の春季キャンプで加治前竜一の頭部に死球を当てるなど制球難を露呈。フィールディングも送球が不安定で開幕は二軍スタートだった。だが、日本人選手が驚くほど勤勉で課題を克服しようと必死に反復練習を繰り返した。4月中旬に一軍昇格すると、セットアッパーで11試合連続無失点の快投。6月下旬から守護神を務め、7月5日のDeNA戦(横浜)でプロ野球史上4人目の160キロを計測した。その後に右ヒジの違和感を訴えて2カ月以上戦線離脱したが、10月に復帰。40試合登板で2勝0敗10セーブ8ホールド、防御率1.71でチームの日本一に貢献した。

 身長191センチの長身から160キロ近い直球とスプリットのコンビネーションで、課題だった制球も年を重ねるごとに安定していった。13年は2勝2敗40ホールド、防御率1.03で同僚の山口鉄也とともに外国人史上セ・リーグ初の最優秀中継ぎ投手を獲得。当時一軍投手コーチだった川口和久氏は週刊ベースボールのコラムに、「来日3年目くらいまでの彼の真っすぐは本当にすごかった。うなりをあげてキャッチャーミットに吸い込まれる。最初は、ほとんど真っすぐだけだったが、見ていて、まったく打たれる気はしなかった」と絶賛している。マシソンの剛速球はバットに当てるのさえ至難の業だった。

 身を粉にして救援という過酷な役回りで投げ続けた。14年以降も64、63、70、59試合に登板。16年はリーグ最多の70試合登板で8勝4敗1セーブ41ホールド、防御率2.36で3年ぶりに最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。外国人投手が複数回受賞したのは両リーグ通じて初の快挙だった。マシソンさは力任せに投げず、打者を打ち取るために必要な術を知っていた。「直球はいくら球速が出ても、甘く入ればとらえられてしまうものです。何よりも大事なのはコントロール」と異国の地で進化し続けていた。

阿部とのバッテリーで初先発して…


2019年、阿部の引退試合で来日初先発を果たした


 18年に投手キャプテンに就任。だが、この年は試練の年になった。8月に左ヒザのクリーニング手術を受けるために米国に帰国。リハビリに励んでいたが、感染症の「エーリキア症」に罹患した。翌19年。治療の影響で春季キャンプには参加せず、日常生活を送れるのかも危ぶまれる状況だったが3月1日に来日。コンディショニング調整したが、万全の状態には程遠かった。28試合登板で2勝2敗1セーブ8ホールド、防御率4.37。同年限りで現役引退を表明した阿部慎之助の希望で、9月27日の本拠地最終戦・DeNA戦(東京ドーム)で来日初先発してバッテリーを組んだ。このマウンドが現役最後の公式戦登板となった。

 マシソンは同年限りでプロ野球の世界から現役引退する意向を発表。東京五輪でカナダ代表として登板することを最後のキャリアとして目指すと表明した。

 NPB通算421試合登板で27勝29敗54セーブ174ホールド、防御率2.46。日本を愛した右腕の勇姿を東京五輪で見られることを楽しみにしている。

写真=BBM
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