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セ、パの新人王候補、中日・三沢淳と西鉄・加藤初の評判/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

1週間で3勝を挙げた加藤初


西鉄・加藤



 今回は『1972年6月12日号』。定価は100円。

 セ、パの注目新人の記事があった。
 まず西鉄のドラフト外・加藤初
 4月25日、東映戦(後楽園)がプロ初登板だったが、「かたくなってしまって」と1回を1失点で終わっていた。
 3試合目から先発に回ったが、まずは0勝2敗と負けが先行。5月12日の阪急戦(西宮)では7回途中まで1失点ながら6四球と荒れ模様だった。
 ただ、阪急・西本幸雄監督は「いい投手だ。いまは悪くてもいずれ出てくる。それだけの素質はありそうだ」と話していた。
 慧眼だった。

 続く5月17日の東映戦(平和台)で2失点の完投勝利を飾ると、中3日の21日のロッテ戦(平和台)でも同じく2失点完投勝利、中4日の26日近鉄戦(平和台)で8回4失点の勝利と、1週間ほどで3勝を挙げたのだ。
 稲尾和久監督は、
「加藤初は完全に戦力として計算できる。東尾、加藤、河原の若手3人でこれから暴れまくってやる」
 と喜んだ。
 加藤は前年のドラフト会議で上位指名必至の右腕と言われたが、所属の大昭和製紙の方針で指名がなく、ドラフト会議後、退社した。このときヤクルト巨人、西鉄が熱心で、加藤は当初、
「自分が原動力になって上位にいくチームを」
 とヤクルトを希望していたが、西鉄の浦田スカウトが大昭和製紙の先輩であったこともあり、ドラフト外で西鉄入団となった、

 セでは中日のサブマリン、三沢淳
 4月16日、初登板は満員の中日球場、しかも巨人戦だった。
 中日が4対8とリードされていた8回表の登板だった。

 三沢は1970年のドラフト会議で3位に指名されるも、1年間、社会人でプレーした後、小野賞を手土産に中日入りした男だった。
 中日ファンの期待も大きく、ファンレターの数もチームで1、2位。この日も登板の際、大声援となった。
 三沢は3人をわずか9球でピシャリと抑えると、味方打線も、この新人を援護し、その裏、一挙6点で逆転。三沢に勝利投手が転がり込んだ。
「1イニングだけで勝利投手になれるんですか」
 本人も初々しい言葉で喜んだ。
 三沢は、その後、リリーフから先発に回り、5月23日時点で11試合に登板し1勝2敗、防御率は2.52。まだまだ先は見えないが、首脳陣は将来のエース候補として期待。
 近藤貞雄コーチは、
「人気だけが先行し、実績のともなわない近鉄・太田(幸司)の二の舞だけはさせられない」
 と話していた。

 では、また月曜に。

<次回に続く>

写真=BBM
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