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編集部コラム

2期目の長嶋茂雄監督が目指していたもの/よみがえる1990年代

 

勝利と育成、どちらを優先させたのか


創刊号の表紙はやっぱり長嶋茂雄監督


 1990年代を1年で1冊ずつお届けするシリーズ。
 1月28日発売の第1号は、「10.8」「イチロー登場」に沸いた1994年を選んだ。
 時代としては、すでにバブル経済は崩壊していたが、スポーツ界は前年93年にJリーグの誕生、日本代表がワールドカップ出場をあとわずかで逃す「ドーハの悲劇」に沸いたサッカー、大相撲の若貴ブームもあって、むしろ活性化していた。

 ただし、それはスポーツの多様化を意味し、長く一強を謳歌していたプロ野球にとってはプラスばかりではない。むしろプロ野球の危機という言葉が盛んに言われていたころでもある。
 特に脅威になったのが、サッカーだ。少年の競技人口が急増し、川淵三郎チェアマン(当時)らが、企業名を前面に出すプロ野球を旧態依然の古臭いものであるかのように批判しながらサッカーの新しさをアピール。
 何より、敵には「日本代表」「対世界」というプロ野球に欠けていたキラーコンテンツがあった。

 92年オフ、長嶋茂雄氏の巨人監督復帰も球界の強い危機感が背景にある。
 現役選手、監督として絶大な人気を誇った長嶋監督は、いわば1強時代の象徴でもあり、球界にとっての「最終兵器」であるかのように言われた。初仕事のドラフト会議で星稜高・松井秀喜の1位交渉権を引き当てたのも、期待感をさらに大きくさせることになった。

 ただ、本人はどう思っていたのだろう。80年の巨人監督退団後、文化人として人気者となっていた長嶋監督は、どのような監督像を描いていたのだろう。
 長いブランクと57歳という年齢もあって1年目は選手との距離感に戸惑いがあったように感じられ、そのオフ、1期目からの愛弟子・篠塚和典が「昔のように先頭に立って選手を引っ張ってください」と直訴した逸話もある。
 長嶋氏の名言の中に、「いつも長嶋茂雄でいるのは大変なんです」というものがあったが、当時はまだ、自分が、どのような「長嶋茂雄監督」になるのか迷っていたのかもしれない。

 迎えた94年は巨人創設60周年のメモリアルイヤーでもあった。できたばかりのFAで中日から落合博満を獲得したことで、悲願の優勝に向け、一歩も二歩も近づいた。
 この年、日本テレビは巨人戦で驚きのキャッチフレーズを発表した。「巨人を棄てる」である。さらにポスターが刺激的。長嶋監督の言葉で、
「巨人軍は永久に不滅です、と、私が叫んだあの時から二十年。今年、私は巨人を棄てます。サビついた栄光に、カビのはえた伝統に、しがみつくのは、もうヤメです。古きをこわす痛みを怖れず、新たにつくる辛さから逃げず。1994年4月9日、巨人軍は、まっさらの新球団としてスタートします。60年目の初心。」
 とあった。

 ビジュアルも引退試合のモノクロ写真に赤いバッテンだ。長嶋監督自身は「キャッチコピーですからね。このぐらい刺激がないとダメなんじゃないですか」と言っていたが、読売新聞社主催の巨人激励会で、渡辺恒雄社長が「あんなコピーが巨人軍の最高経営会議の知らない間に発表されたのは、誠に遺憾。巨人や巨人ファンを冒とくするものだ」と話し、早々にお蔵入りとなっている。

 一連の騒動に対し、長嶋監督がどう思っていたかは分からないが、現状の野球を変えていこうというのは確かだった。それは過去の否定というよりは、過去の栄光にこだわり過ぎる姿勢の否定だった気がする。
 選手に「野球は難しくやってただ勝ちさえすればいいというものじゃない。魅せなきゃ。ハートのある野球を目指すんだ」と繰り返したが、それはまさに現役長嶋茂雄の信念だったはずだ。
 それが具現化したのが「10.8」でもあった。選手たちを独特の言葉力で鼓舞し、選手たちも長嶋監督の手のひらの上で楽しそうに踊り、勝利をつかんだ。

 95年のインタビューで長嶋監督はFAについてこう話している。
「あくまで私のテーマは勝利と育成という監督にとって対極的ともいえる二本柱があるわけでしょ。FAはその時々の強力な選手を引っ張ってくること自体が目的ではなく、自前の選手を育てる時間稼ぎ。そう考えてもらえば結構ですね」
 落合と松井。その2人の関係を明確に表現した言葉ではあるが、“勝利と育成という監督にとって対極的ともいえる二本柱がある”という言葉からは、長嶋監督の迷いも感じる。
 そして迷いながらも、松井の育成以外については、前者の勝利を優先させていったのかもしれない。
 以後もFA、逆指名ドラフトで、豊富な資金力で補強を繰り返し、超スター集団を作り上げ、2000年の日本一チームは、まさにその集大成の最強軍団だった。

 ただ、それは本当に長嶋監督が描いた理想のチーム像、監督像だったのだろうか。
 90番時代、選手とともに汗を流す姿にあこがれた昭和の元少年の1人としては、少し無理をしていたように思えてならない。(井口英規)
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