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プロ野球回顧録

入団会見でリーゼント…「落合博満とトレード」で衝撃呼んだ守護神は

 

高校時代から全国区


中日時代の牛島


 今から35年前。86年オフに球界を震撼させるトレードが発表された。中日がロッテで2年連続3度目の三冠王に輝いた落合博満と4対1のトレードを敢行。上川誠二平沼定晴桑田茂とともにロッテへ移籍したのが先発、抑えで活躍していたスター右腕・牛島和彦だった。

 牛島は当時25歳。主力投手としてこれから全盛期を迎える時期で、兄のように慕っていた星野仙一が監督に就任したことも発奮材料になっていた。本拠地・ナゴヤ球場近くに自宅を購入して名古屋で骨を埋めるつもりだったが、まさかのトレード通告。牛島は「僕が何かしましたか?」と聞き返したという。引退も視野に入れたが、2日間の苦悩の末にロッテ移籍を決断する。東京で移籍会見に臨むため名古屋駅に向かうと、東海道新幹線のホームで見送りに来た星野監督の姿が。牛島は人目をはばからず号泣した。

 浪商高のときから快速球右腕は全国区だった。「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行とバッテリーを組み、甲子園に3度出場する。3年春のセンバツでは準々決勝・川之江高戦で延長13回221球を完投し、翌日の準決勝・東洋大姫路高でも完投勝利。鉄腕ぶりを発揮して準優勝に導いた。3年夏も前年夏の優勝校・PL学園高を大阪府大会決勝で撃破。甲子園でベスト4まで勝ち上がった。

 牛島には華があった。テレビのインタビューでは「オレが投げれば、チームは絶対勝ちますから」と豪語。クールな表情と強気の性格で女性ファンに大人気だった。ドラフト1位で入団した中日の入団の会見ではバリバリのリーゼントで登場。ヤンチャなイメージだったが、投球は勢い任せでなく、打者の心理を読んで配球を組み立てることに長けた頭脳派だった。

 高卒1年目から一軍で2勝を挙げると、3年目の82年には守護神に抜擢されて17セーブとリーグ優勝に大きく貢献する。牛島の武器は落差の鋭いフォークだった。牛島は週刊ベースボールで大島康徳と対談した際、こう振り返っている。「プロ2年目くらいまでは、あんまり落ちなかったんですよ。それが指の関節をはずせるようになってから、うまく抜けるようになりましたね」。84年は自己最多の29セーブで最多セーブ投手に。翌85年もシーズン途中で先発に回ると6完投で6勝8セーブとフル回転した。

ロッテでも真価を発揮


ロッテ時代の牛島


 順風満帆な野球人生に大きな転機が訪れる。86年オフに電撃トレード。簡単に気持ちの整理はつかなかったが、実力を高く評価したロッテで結果を出す姿がプロフェショナルだった。移籍1年目の87年に2勝4敗24セーブ、防御率1.29で初の最優秀救援投手に。88年も2年連続セーブ王に輝く。89年は先発に転向して自己最多の12勝をマーク。カーブ、フォークと縦の変化で勝負していた投球スタイルだったが、中日時代は実戦で使っていなかったスライダーも決め球に。横の幅も使えるようになり、外角へ流れる球で凡打の山を築いた。

 だが、その後は右肩の故障で満足に投げられない状態が2年間続く。92年4月7日のダイエー戦(千葉マリン)で924日ぶりの勝ち星をマークした際はお立ち台で号泣。「泣くつもりはなかったんですが、お立ち台に立ったら、知り合いの新聞記者や客席がみんな泣いてるんですよ。むしろ、もらい泣きですね(笑)。最初は、『よし、やったぞ。これで次もいけるかも!』と思っていたんですが、みんなが泣いてるのを見たら、急にリハビリしていたしんどいときを思い出しまして」と振り返っている。

 完全復活かと思われたが、血行障害に苦しめられる。2勝のみに終わった93年限りで現役引退した。通算395試合登板で53勝64敗126セーブ、防御率3.26。32歳の若さだったが完全燃焼したと言えるだろう。

高い洞察力と的確な助言


05、06年には横浜で監督を務めた


 卓越した野球理論と面倒見の良さで牛島は伊良部秀輝小宮山悟ら後輩から慕われていた。「彼らがどう思っていたかは分かりませんが、後輩たちが伸び悩んでいたようにも見えたんで、『じゃあ、ウチでメシでも食って野球の話をしようか』って誘っていました。特にケガをした後ですね。リハビリで学んだこともたくさんあるし、いろいろ後輩に伝えなきゃという気持ちは強かったです」と惜しげもなく自分の知識、経験を伝えていた。

 2005年に横浜(現DeNA)の監督に就任した際は3年連続最下位だったチームをAクラスに押し上げている。牛島の洞察力と的確な助言に心酔する選手は多かった。守護神として来日通算177セーブを挙げたマーク・クルーンは「球は速いがコントロールに難がある」と球団が獲得に難色を示していたが。投球映像を見た牛島は「このクセなら矯正が可能」と判断。クルーンに助言を送り、制球が見違えるように改善。球界を代表する守護神になった。

 中日一筋で現役生活を送ったら違う人生だったかもしれない。だが、波瀾万丈の野球人生で見せた生き様が多くの野球ファンの心を揺さぶったことは間違いない。

写真=BBM
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