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高3夏には全国制覇…活動再開した東海大を新しく率いる井尻陽久監督の野球人生とは?

 

原貢監督の薫陶を受け


東海大の新監督に就任した井尻陽久氏は2月1日、活動再開にあたり、106人の全部員の前でミーティングを行い、指導方針を伝えた


 昨年10月17日、野球部員2人の大麻使用が発覚し、無期限活動停止だった東海大が2月1日に全体練習を再開した。

 シーズン終盤を迎えていた昨秋のリーグ戦を出場辞退。昨年12月18日の日本学生野球協会の審査室会議では、1月16日まで3カ月の対外試合禁止処分を受けた。この不祥事に伴い、伊藤栄治部長と安藤強監督(2月1日、巨人の社長付編成アドバイザーに就任)が引責辞任。1月18日には内山秀一新部長(教学部長)、井尻陽久新監督(日本野球連盟常務理事)の就任が発表された。

 安藤前監督が就任した2017年に合わせて、野球部顧問となった井尻氏に監督就任要請があったのは、昨年12月28日だったという。

「迷いましたよ。年齢も年齢(68歳)ですので……。和歌山で家内と2人で暮らしていました。反対されたら断ろうと思っていましたが、背中を押してくれた。次の日に『お引き受けします』と。60歳を過ぎて以降は(勝負に対する)緊張感がなかったですから、久々の感覚。引き受けた瞬間からスイッチが入りましたね」

 エリート街道を歩んできた。東海大相模高では原貢監督の薫陶を受け、遊撃手として2年春から3季連続甲子園出場。主将だった3年夏には、同校初の全国制覇を遂げている。

「初めて出場した2年夏は白いユニフォーム。3年春にタテジマが認められたんです。まだ、全国的に無名の存在。これは本当の話ですが、関西の人から『東海大相撲』と言われていたんですよ。原のオヤジからの教え? 打ち方とか、守備とか……まったく覚えていない。サインもあったのか……(苦笑)。人と人との付き合い方ですかね。約束を守る。ウソをつかない。人の話を聞く際の目が大事です。人柄、信用を得る人間になる」

 野球の技術以外、人としての生き方だ。半世紀前の記憶が、脳裏から離れないという。

 東海大でも遊撃手として活躍し、4年秋にベストナインを受賞。社会人野球・日本生命では選手、監督として都市対抗優勝を経験した。1996年のアトランタ五輪では、コーチ(守備・打撃)として銀メダルを獲得。今年1月、当時の日本代表監督だった川島勝司氏が特別表彰で野球殿堂入り。井尻氏は冗談交じりに「良いコーチに、恵まれましたね」と祝福したという。「川島さんは優しい人。対照的に私はヤンチャ(苦笑)」と照れ隠しするが、全日本ではデータ部門も任され、全幅の信頼があった。

「野球部の監督としては日本一を目指す」


 現場指導を離れた後は、日本野球連盟常務理事、全日本野球協会評議員、センバツ選考委員を歴任し、野球界に多大な貢献をしてきた。そして今回、「愛着のあるタテジマ」と語る母校のために一肌脱ぐ決意を固めた。和歌山から単身赴任。東海大の活動拠点(神奈川県平塚市内)の近隣に住み込み、学生と向き合う。

「たまたま縁があって、学生を指導することになりました。必然なのか、偶然なのか……。せっかく一緒になったのですから、愛情を持って接しようと思います。皆、良くなってほしい。若い学生には、夢と希望があります。社会へ出る一歩手前で、その準備を大学4年間でやる。とはいえ『教育』に、言い逃れはしたくない。勝たんでもエエということはありません。野球部の監督としては日本一を目指す。でないと、本物の教育はできません。全員が本気で狙うこと。本気で向かえば、準備も本気でする。大学生ですからヒントを与えながら、自分たちで考えさせていきたい」

 活動再開の2月1日。練習前には1時間のミーティングで、指導方針を伝えた。3時間の練習後は、グラウンド周辺と合宿所の大掃除を実施。「キレイにしておけば、汚れは気になるが、汚くなっていくと、気にしなくなる。整理整頓は大事。報道陣の皆さん、あと半年してからまた、来てください」と呼びかけた。

 合宿所の玄関には、東海大の「建学の精神」を掲示。また、食堂ら洗面台など、共有スペースには注意事項を貼り出し、当たり前のことを当たり前にする生活習慣を身につける。

 経験、実績とも豊富な井尻新監督の下で、東海大野球部の再建が始まった。

文=岡本朋祐 写真=中野英聡
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