3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 王貞治は記念の3000号
100勝目を挙げた巨人・掘内恒夫
今回は『1972年6月26日号』。定価は100円。
前回は、チケットを買いに行った
阪神ファンがその途中で不慮の死を遂げた話を書いた。
彼が購入しようとしていたのが、6月9日、金曜日の阪神─巨人戦だった。阪神にとっては久々の本拠地首位決戦だけに、甲子園は燃えに燃えた。
開門は午後4時だったが、付近の駐車場に3000台、ほか路上駐車で道路があふれかえり、球場に町内会から苦情がバンバン入っていた。
鉄道も臨時電車を8本増便、特急は11本が甲子園駅に止まった。
試合は阪神が
江夏豊、巨人が掘内恒夫の先発だが、ともに通算99勝で100勝にリーチをかけていた。
江夏は巨人戦に通算24勝22敗だが、対堀内は分が悪く、前年まで3勝6敗。
この年も2試合を落とし、3勝8敗となって、6月2日、後楽園での投げ合い、ここで3対1の完投勝利。対戦成績を4勝8敗としていた。
堀内は言う。
「俺のほうが1年早い入団なのに勝ち星は一緒。せめて100勝くらい、1日でも早く記録したいよ」
状況は明らかに堀内に有利。堀内が中6日に対し、江夏は3日前に
中日戦を延長10回完投勝ちしていた。
新聞記者は、
「江夏の先発は首脳陣も意見が割れたらしい。最近では作戦にまったく口をはさまぬ村山(実)監督が、3連戦の頭からいくのは無茶や、と珍しく口をはさんだらしい。金田(正泰)ヘッドコーチの押しが相当強かったようだ」
と明かす。
結局、堀内が124球の完投勝利で通算100勝を達成。江夏は途中降板となった。江夏へのとどめが
王貞治の16号本塁打で、これが球団創設3000号でもあった。
「2000号は僕でしたから、今後も僕でしょ」
と言った王の予感があたった。
球場ではビール8000本、コーラ3万本、すしが9000食売れた。試合後、ゴミの山となった球場の清掃は翌日の昼まで続いたという。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM