週刊ベースボールONLINE

HOT TOPIC

リベラ、呉昇桓、ドリス…2010年以降は3人のセーブ王!好投手が多かった阪神助っ人守護神の歴史

 

昨季から阪神の抑えを務めるスアレス


 2020年のセ・リーグは阪神のロベルト・スアレスがセーブ王に輝いた。2017年には阪神でプレーしたラファエル・ドリスも同タイトルを獲得しており、阪神は助っ人守護神の活躍が目立つ。では、過去にどんな助っ人が阪神の抑えとして活躍したのだろうか? 「阪神の助っ人守護神の歴史」を辿ってみた。

阪神で最初にセーブを記録した助っ人は?


わずか2年の在籍だったオルセン


 NPBで「セーブ」が公式記録として導入されたのは1974年シーズンからだ。阪神の選手で初めてセーブを記録したのは江夏豊で、1974年4月10日に行われた広島戦で7回から登板し、ロングリリーフで1点差を守り切った。

 阪神の助っ人外国人が初めてセーブを記録したのは1983年。江夏から9シーズンも後だ。この年はランディ・バースキム・アレンスティーブ・ストローターと3人の外国人が登録されていたが、ストローターが期待外れに終わり、シーズン半ばで解雇。代わりに登録されたのが、シーズン前に入団テストに合格するも、外国人枠の関係で登録保留になっていたリチャード・オルセンだった。

 オルセンは先発2試合目で初勝利を挙げると、その後も先発ローテーションの谷間での起用が続いた。この年の最終戦となった10月24日のヤクルト戦では、御子柴進中田良弘の後を継いで8回からリリーフで登板。2回を無失点に抑え、来日初セーブを記録した。これが阪神の助っ人外国人による初めてのセーブ記録だ。

 記念すべき初セーブを記録したオルセンだが、当時は山本和行という抑えの切り札がいたため、リリーフには定着できず。翌1984年も先発で起用され、残念ながら2勝9敗と不振だったため自由契約になってしまった。

郭李にリベラ……懐かしい1990年代の抑え助っ人


98年に阪神に加入したリベラはいきなり27セーブをマーク


 オルセン以降、抑えを任され、セーブを記録する助っ人は現れなかったが、1993年に入団した郭李建夫が同年2セーブをマーク。オルセン以来久しぶりの助っ人によるセーブ記録となった。その後、郭李は先発に転向するも、1996年シーズンはチーム事情から古溝克之に代わって抑えに起用されることになる。するとこの配置転換が功を奏し、チームトップの15セーブをマーク。阪神史上初の「助っ人守護神」誕生となった。

 1998年には台湾リーグで活躍していたベン・リベラが加入。150キロを超えるストレートが武器だったリベラは、1年目から抑えを任され、いきなり球団新記録(当時)の27セーブをマークした。残念ながら翌1999年は野村克也新監督と起用方法で揉めたり、ヒジを負傷したりで出場機会が激減。ヒジを治療すると帰国したまま契約解除になってしまった。通算成績は3勝4敗39セーブ。目立った活躍は1シーズンのみだったが、今でも「阪神の助っ人守護神と言えばリベラ」という阪神ファンも多い。

 リベラが一悶着あった1999年は、シーズン半ばの6月にカート・ミラーという助っ人投手が入団。メジャーでは3Aで実績を残していたが、1年目は2勝4敗と良いところが見せられなかった。2000年はリベラの後任として抑えに抜擢されるが、防御率7.41と不安定なピッチングが続き二軍落ち。6セーブしかできなかった。


JFK時代にセーブを記録した助っ人


当初は抑えを務めていたウィリアムス


 2002年は、新外国人のマーク・バルデスが抑えを任された。バルデスは高い制球力を武器に活躍し、42試合で22セーブをマーク。リーグトップのエディ・ギャラード中日)の34セーブには及ばなかったが、4000万円という年俸(推定)からすると十分な成績だった。チーム残留が決まっていたバルデスだが、チームがジェフ・ウィリアムスを獲得することになったため、急きょ放出された不運の持ち主でもある。

 バルデスを追い出す形で入団したウィリアムスは、1年目から抑えに起用されると52試合で25セーブを記録。防御率は1.54と安定感も抜群だった。2年目の2004年もリリーフを任されたが、安藤優也と併用する形になったことが災いし、14セーブと調子を落とした。そのため、2005年からはセットアッパー専任となり、同じく中継ぎの藤川球児、新しく抑えに起用された久保田智之とともに、阪神史上最強と呼ばれるリリーフ陣、いわゆる「JFK」を形成。その後のすさまじいまでの活躍は皆さんもご存じのとおりだ。

 2003年、2004年は他にもセーブを記録したものの、守護神になれなかった助っ人が何人もいた。まずは2003年に加入したルー・ポート。同期入団のウィリアムスよりも抑えとして期待されていた選手だが、わずか1セーブでチームを去った。ルー・ポートの代わりとして2003年シーズン中に獲得したジェロッド・リガンは、同年は中継ぎの一角として活躍。翌2004年は抑えとして4セーブを挙げていたが、ヒジの靱帯を負傷してしまい、これが原因で退団となった。抑えでも好投を見せていただけに惜しまれる。

 リリーフ陣強化のために2004年には台湾のセーブ王であるラモン・モレルが入団。しかし、21試合を投げて1敗1セーブと期待されたほどの活躍ができず、1年で退団となった。

呉は連続タイトル


14、15年と2年連続でセーブ王に輝いた呉


 2007年からは藤川球児が不動の守護神に君臨し、藤川がメジャーに挑戦する2012年まで助っ人が守護神を任されることはなかった。再び阪神で助っ人守護神が躍動したのは2014年。韓国リーグで歴代最多の295セーブを記録した呉昇桓が阪神に加入したのだ。呉は平均球速150キロの直球と鋭いスライダーを武器に、2年連続でリーグ最多セーブを記録。期待以上の活躍を見せた。

 呉は韓国リーグ在籍時代に違法賭博を行った疑いがあり、これが原因で2006年限りで退団。後任候補として阪神が獲得したのがマルコス・マテオとラファエル・ドリスの2人だった。2016年はマテオがクローザー争いに勝ち、この年は抑えとして52試合に登板。20セーブを記録する。しかし、翌2017年は前年にセットアッパーだったドリスが抑えに起用されることになり、先述のように37セーブをマークし、最多セーブのタイトルを獲得した。

 その後、マテオは2018年で退団して通算20セーブに終わったが、ドリスは2019年まで在籍し、阪神の歴代助っ人守護神では最多となる通算96セーブを記録している。

 阪神の助っ人守護神の歴史をまとめてみた。特に2010年代は呉昇桓、ラファエル・ドリス、ロベルト・スアレスと3人のセーブ王が誕生しており、助っ人守護神の活躍が目立つ。現在守護神のスアレスは、ドリスの96セーブを上回るような成績を残すのか、今後の活躍に期待したい。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング