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プロ野球回顧録

3億円と破格の契約も…日本記録の「12ボーク」で退団した阪神の助っ人は

 

致命的な弱点が……


高年俸で契約しながら6勝と結果を残せなかったジャン


 阪神のエースとしてチームを支えてきた井川慶がポスティングシステムでヤンキースに移籍した06年オフ。この大黒柱の穴を埋める先発要員として、獲得したのがエステバン・ジャンだった。

 メジャー通算472試合登板で33勝51セーブの右腕に投じた額は2億4000万円に契約金も加えて3億円。球団の新外国人投手で史上最高額だった。来日後の会見では「ボストンに行った松坂(大輔)に負けないように200イニングを投げて、日本でNo.1と言われるように頑張りたい」と力強く誓った。

 ドミニカ共和国出身の右腕は身長193センチ、体重116キロの巨体から最速158キロの速球、ツーシーム、スライダー、カットボール、フォークボールなどを操る。4月3日のヤクルト戦(神宮)で5回3失点に抑えて来日初登板初勝利をマーク。4月24日のヤクルト戦(甲子園)も6回1失点の快投を見せる。アレックス・ラミレスの打球が顔面に直撃してアゴの裂傷で9針を縫うことになったが骨には異常がなかった。とはいえ、登録抹消されてもおかしくないケガだったが、翌々日にはブルペン投球を開始。タフな肉体であることを証明したが、その後は不安定な投球が続く。

 致命的な弱点はセットポジションで完全に制止できないことだった。直球と変化球で投球フォームが違うことも見抜かれて改善に迫られる。また、スタミナも課題だった。5回以降になると球威がガクッと落ちて制球も浮いてしまう。「先発もリリーフも両方できる自信はあるが、日本という国で新しいスタートを切るわけだから、スターターでやってみたい気持ちが強かった」と本人が強く首脳陣に先発をリクエストしてローテーション入りしたが、メジャーで先発登板はわずか23試合。01年はリリーフ専門だった。

マウンドで明らかにイラ立ち


 それでも「勝ち負けは神様が左右する。でも、オレは負けるために日本きに来たわけじゃない」と懸命に腕を振ったが、特にボークの多さは深刻だった。5月8日の巨人戦(甲子園)では、球団史上初となる1イニング2度のボーク。8月21日のヤクルト戦(神宮)では、日本新記録のシーズン12ボークと不名誉な記録を樹立した。マウンド上のジャンは明らかにイラ立っていた。この判定の直後に武内晋一に内角をえぐる投球を繰り返し、3球目が頭部を直撃、危険球とみなされ退場処分を受ける。その2週間前の8月3日の広島戦(広島で)でも梵英心にボークを与えた直後に死球を与えていたことから、ヤクルトの古田敦也監督は「アンパイアに対してやっているんだろう」と激怒した。

 ヤクルト戦で危険球退場した翌22日に登録抹消となり、10月に父親の体調悪化のため米国に帰国。そのまま退団した。21試合登板で6勝5敗、防御率4.66。肌寒い春先に半ソデで投げているにもかかわらず大量の汗をかいたり、甲子園登板時のテーマ曲はベートーヴェンの『運命』だったことなどプレー以外で話題が多かった。退団後の08年は韓国・SKでプレー。17試合登板で1勝2敗6セーブ、防御率2.15と救援要員で活躍した。やはり、先発に適性がなかったのだろう。阪神で井川の後継者として期待するのは酷だった。

写真=BBM
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