週刊ベースボールONLINE

週べ60周年記念

広島・根本陸夫監督は、なぜ解任されたのか/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

市民の不満が表面化?


広島・根本監督。年代不明


 今回は『1972年7月3日号』。定価は100円。

 シーズン途中だが、広島・根本陸夫監督が辞任を発表した。
「先の大洋戦(6月10、11日)の後、根本監督が現在の不振を打開するためには自分が辞任するのがもっともよい方法だという申し出があり、これを受け入れることにしました」
 とは西野球団常務。
 根本監督は、
「シーズン初めの軌道の誤りがここまで来てしまった。自分が休養、チームが原点に返って気分を一新するのが一番いいと思った」
 と退任理由を語った。もちろん、実際には解任である。

 ここまで二転三転があった。
 5月18日からの7連敗を始め、チームが極度の不振に陥り、内外から根本退陣の声が上がっていたのは事実だ。
 それでも6月9日、松田耕平オーナーは根本監督ら首脳陣を集め、「どんな不振でも、今年は監督を変えない」ときっぱり。東洋工業の株式総会で「アメリカキャンプまでやらせたのに何だ。根本監督を辞めさせるべき」と他の役員からたたかれた際も「根本はチームをAクラスに入れてくれた。シーズン途中でそれはできない」と突っぱねた。

 そこから一気に解任に向かったのは、地元ファンの声がある。
 この年の不振の特徴は、地元広島での弱さだった。とにかく勝てず、1試合での観客動員も1000人も減ったという。
 市民の声というのも載っていた。
「根本が悪いのう。どこのナニモンか分からんが、あれが来てから広島育ちがずいぶん切られよったで。アメリカで今年勉強してきたんじゃろが、選手は勉強しても、監督が勉強せんかんったのじゃないか。根本がおるうちは野球を見に行く気がせん。魅力がないけんのう」
 こういった声が手紙、電話で球団に殺到していたという。

 外様で広島出身でもない根本監督だが、就任初年度の68年には初のAクラス3位。その後もチーム改革を進めた。
 結果を出しているうちは抑えられていた不満が成績不振により、一気に表面化したという、よくあることでもあった。
 広島は市民球団でもあり、松田オーナーも解任という決断をせざるを得なかったようだ。

 監督代理は森永勝也コーチ。後任監督候補には、ほかに鶴岡一人上田利治らが挙がっていた。
 
 では、また月曜に(前日、修正忘れ、失礼)。

<次回に続く>

写真=BBM

写真=BBM

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング