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阪神で38本塁打を放ち18年ぶりの優勝に貢献も…巨人ではわずか17試合出場で退団した助っ人大砲は

 

「メシア from USA!」


阪神で18年ぶりの優勝に貢献したアリアス


 巨人と阪神は「伝統の一戦」と呼ばれてファン同士も熱くなるライバル関係だが、この両球団に所属した外国人選手がいる。ダレル・メイとジョージ・アリアスだ。アリアスは阪神在籍時の2003年に18年ぶりのリーグ優勝に貢献。暗黒時代を救った助っ人として、応援歌の最後の一小節「メシア from USA!」に阪神ファンの愛情が込められていた。

 アリアスが来日したのは00年。オリックスに入団すると1年目は打率.250、26本塁打、2年目の01年は日本野球に対応して打率.262、38本塁打と成績を上げる。だが、2年連続で出塁率が3割2分台だったことに球団フロントの評価は高くなかった。年俸を巡り交渉が決裂し、オリックスを退団する。このアリアスを高く評価していたのが阪神・星野仙一監督だった。

 阪神はオリックス時代から2億円近いアップの年俸2億5000万円プラス出来高5000万円の2年契約で迎えた。その期待に応えようと、02年に32本塁打をマーク。30本塁打以上を放ったのは89年のセシル・フィルダー以来球団史上13年ぶりだった。03年は打率.265、38本塁打、107打点とタイトル争いを繰り広げる。5月9日の横浜戦(横浜)では相手左腕・吉見祐治から濱中おさむ、片岡篤史に続いて三者連続でレフトスタンドにアーチを放ち、「平成の3連発」とメディアに大きく取り上げられた。独走でリーグ優勝を飾る原動力となり、打撃だけでなく一塁の安定した守備でもゴールデン・グラブ賞を獲得した。

来日から2年間はオリックスでプレーした


「オリックスは週末と平日でお客さんの数が違っていたけど、タイガースはいつもたくさん来てくれる。最高のサポートをしてくれるファンと、最高の場でプレーできるチャンスを与えてくれた神様に感謝しているよ」と語っていたアリアス。日本で成功する要因については「ひと言でいえば“受け入れる”ことだね。日本の生活スタイルはもちろん、日本のすべてを受け入れること。日本のシステムをすべて習う、勉強する――そういう向上心がなければ難しいと思うよ」と語っていた。

 04年も打率.272、25本塁打、84打点とまずまずの働きぶりだったが、高年俸に加えてチームが当時横浜を退団濃厚だったタイロン・ウッズの獲得を目指していた経緯があり、同年限りで退団した。その後はメキシカン・リーグでプレー。日本人が好きで生活も快適だったことから、日本球界復帰を望んでいた中で待望のオファーが届く。巨人が東京ドームの相性の良さ、日本での実績を評価し、シーズン途中の06年6月末に途中入団する。

得点力アップを目論む巨人から


シーズン途中に加入した巨人では救世主とはなれなかった


 結果から言えば、不完全燃焼に終わった。このときの巨人は原辰徳監督が2年ぶりに現場復帰。4月に貯金12と開幕ダッシュに成功したが、高橋由伸小久保裕紀阿部慎之助ら主力選手が故障により相次いで戦線離脱すると、6月に球団月間最多敗戦記録の19敗と大失速する。得点力アップを目論む中、緊急補強したのがアリアスだった。

 移籍後初スタメンは7月5日の中日戦(東京ドーム)。本職ではない左翼手だった。打撃の調子が上がらず、1か月後に二軍降格。8月以降はファーム暮らしだった。17試合出場で打率.167、2本塁打、5打点。帰国の際、「チームを救済できずに申し訳ない」と報道陣に語り、「阪神では信念や希望を持ち、何より野球は楽しむものだと感じた。巨人にはいいプレーヤーがいるが、重圧に負け野球を楽しんでいない」と複雑な表情を浮かべた。

 日本で3球団を渡り歩き、来日6年間で通算639試合出場、打率.259、161本塁打、436打点。阪神在籍時の応援歌は現在も外国人選手に引き継がれている。虎党には特に愛されたホームランアーティストだった。

写真=BBM
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