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平成助っ人賛歌

6度の退場処分のファイター! ホークス史に残るパナマの大砲、平成球史の名場面にズレータあり?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

備わっていた謙虚さと向上心


03年途中、ダイエーに入団して長距離砲として活躍したズレータ


「プレステ2が7000万台突破!」

 2004年2月発売のゲーム雑誌『コンティニュー』では、プレイステーション2が発売から4年弱で全世界累計出荷数7000万台を達成したことを報じている。旧プレステより1年以上早いペースだが、ハード1台あたりのゲームソフト出荷本数は4本近く減少。当時、DVD再生機能をメーンにプレステ2を購入するユーザーも多かったが、ハードの裾野は着実に広がり、04年はソフトメーカーにとって「本格的な収穫期」と位置付けられていたという。

 コナミから『プロ野球スピリッツ』第一作目が発売されたのも04年3月25日のことである。リアル系野球ゲームの歴史を変えた本作は、ホームラン時のパフォーマンスも話題で、シリーズ序盤はアレックス・ラミレスの「ラミちゃんペッ」、そしてフリオ・ズレータ「チョップ、チョップ、パナマウンガー!」も再現できた。あらためて文字にするとなんだかよく分からない「幕張ファイヤー!」も含め、00年代特有のある種の“ベタさ”に懐かしさすら感じてしまう。

 パナマ出身のズレータは身長197cm、体重113kgの右の大砲で、03年途中に28歳で福岡ダイエーホークスへ入団。MLB通算9本塁打とメジャーではなかなか出場機会に恵まれなかったが、それ以前も巨人中日の新助っ人候補として名前が挙がる日本球界注目の巨漢スラッガーだった。しかし、ズレータは来日後すぐに日本人投手の変化球攻めに戸惑う。シュートやシンカーなどアメリカじゃほとんど見たことがない軌道で動き、メジャーのスター選手にも負けないパワーを見せてやると意気込んでいた男はいきなり鼻っ柱を折られるわけだ。

本塁打を打った際のパフォーマンスでもファンを喜ばせた


 だが、いかにも豪快なパワーヒッターに見えて、彼には謙虚さと向上心があった。打撃コーチの助言を受け入れ、投手の攻め方や気づいた点について毎日こまめにメモを取るようになる。打撃フォームも投手の二段モーションに対応するため、バットのグリップ部分を頭上に持ち上げ、ヘッドを投手方向へ向けた。フォームにタメができれば、投手が一度止まっても、前に突っ込まずボールを待って叩くことができる。自分のスタイルにこだわり意固地になる外国人選手も多い中、なぜズレータは日本式スタイルを素直に受け入れられたのか?

『ベースボールマガジン』2011年9月号には、引退後のズレータがフロリダ州フォートマイヤーズで経営する室内打撃練習場で収録した特別インタビューが掲載されているが、ここで「日本の文化に適応できたのはパナマ出身だったからかもしれない」と当時のことを振り返っている。

“ダイ・ハード打線”の中で気楽にプレー


「パナマはご存じのようにパナマ運河の国で、いろんな国の大きな船が通過して行く。大人になってパナマ運河で働く機会があるかもしれないから言葉がたくさんできないといけない。高校では、少なくとも4つの言葉が話せるように勉強させられる。おかげで私もスペイン語、ポルトガル語、フランス語、英語ができた。異文化に触れることにも慣れている。そういう環境だったんだ」

「日本に初めて行ったときも、ほかの外国人選手のように、周りが英語をしゃべることを期待するのではなく、日本なのだから、日本の言葉を自分からしゃべらないといけない、と思った。加えて、パナマは家族の結びつきが強いし、地域コミュニティーも、より共同意識が強い。一方でアメリカは個人主義の国。アメリカより日本社会の方にフィットするのを感じたんだ」

 そう言えば、ほぼ同時期に日本ハムで活躍したフェルナンド・セギノールもパナマ出身だった。ズレータが幸運だったのは、03年の日本一に輝くダイエーが戦力充実期にあったことだ。大黒柱の小久保裕紀をオープン戦の故障で欠きながらも、三番は盗塁王の井口資仁、四番は打点王の松中信彦、五番が全イニング出場のMVPキャッチャー城島健司、その後ろを打つ六番のバルデスと脅威の「100打点カルテット」を結成。まだホームランテラスのない広い福岡ドームを本拠地にしながら、史上最高のチーム打率.297、シーズン1461安打、276二塁打、2265塁打。規定打席3割以上が6人。史上初の20得点以上4試合。チーム147盗塁もリーグトップと“ダイ・ハード打線”が猛威を振ったシーズンだった。

 つまり、来日1年目のズレータは超強力打線の「七番・DH兼一塁」で日本野球に慣れながら、意外性の一打を期待されるという比較的ラクなポジションでホークスでのキャリアをスタートさせることができた。03年の67試合で打率.266、13本塁打、43打点という成績はいきなり四番を期待されるようなチーム事情だったら、物足りないと1年でクビを切られていたかもしれない。背番号42は阪神との日本シリーズでは第1戦でサヨナラ安打、第2戦では7回にダメ押し3ランをかっ飛ばしているが、指名打者制度のない甲子園での第3戦からはスタメン落ちしている。最初はそういうポジションの選手だったのだ。

 それが04年は37本塁打、100打点。ソフトバンク元年の05年には打率.319、43本塁打、99打点、OPS1.038と爆発。年々着実に成績を伸ばしたズレータは日本で育ったパナマ産大砲でもあった。そして、すっかり鷹打線の五番に定着していた06年シーズン、あの名シーンを思い出すファンも多いだろう。

サヨナラ負けを喫し、マウンド上でうずくまっていた斉藤に肩を貸し、ズレータはベンチまで連れて帰った


 2006年10月12日、プレーオフ第2ステージ第2戦。札幌ドームで日本ハムにサヨナラ負けを喫し、マウンド上で崩れ落ちる絶対的エース斉藤和己を立たせて、両脇で支えながらベンチへ連れて帰るズレータとホルベルト・カブレラの外国人選手コンビ。平成球界屈指の名場面だが、昨年公開されたパ・リーグTV公式Youtubeチャンネルでの外国人OB選手インタビューに、ズレータが登場。当時のあのシーンを振り返り感極まって涙を拭いながら、「チームのエースであり、最高の投手であり、良き友人でもある斉藤投手を観衆の眼前にさらされ続けるマウンド上に放っておくことは私にはできなかった」と語っている。

6度の退場処分を受けたファイター


マウンド上のセラフィニに襲いかかったズレータ


 その一方でズレータと言えば、6度の退場処分を受けるファイターとしても知られるが、今でも語り草なのは04年9月9日のロッテ戦での一件だろう。セラフィニの背中付近を通過するビーンボールに激怒したズレータは、ヘルメットを投げつけ往年のボブ・サップのような突進力でマウンドへ一直線。飛び蹴りで応酬したセラフィニを掴まえると難なく押し倒し、上から数発のパンチを見舞いボッコボコに……。ともに退場処分となり、先に手を出したズレータには制裁金10万円に加え1試合の出場停止処分が課せられた。

 なぜ、あんな総合格闘技のゴング直後のような両者臨戦態勢からの前のめりな殴り合いに発展したのか長年謎だったが、当時のチームメート里崎智也は18年にニッポン放送の『高嶋ひでたけと里崎智也 サタデーバッテリートーク』内でその裏事情を明かしている。セラフィニはベンチで里崎に対して「乱闘、見たいか?」と聞いてきた直後に、前の打席で一発を浴びたズレータの初球に危険球を投げて本当に乱闘を引き起こしたという。ちなみに日本特有の本塁打を打ったあとのベンチ前パフォーマンスに対し、侮辱行為と怒る外国人投手は多い(ラミレスのパフォーマンスにも度々クレームがついたという)。要はマウンド上から仕掛けようとしていた投手と、当然その異様な雰囲気を察知した打者側のケンカマッチというわけだ。

 06年4月16日には日本ハム戦で内角をえぐる死球に怒り、マウンド上の金村暁をタックルで倒しパンチを浴びせる暴力行為を働き出場停止10日間の処分を受け、復帰戦も因縁の日本ハムが相手。札幌ドームに鳴り響くブーイングの中、右打席に入ったズレータはバットを刀に見立て天にかざす、ラオウの「我が生涯に一片の悔い無し」風のムーブを披露する。どこかセンスがズレていて憎めないズレータのパフォーマンスの数々。06年当時でさえなんか懐かしい、これぞ昭和風お騒がせ助っ人の匂いを感じさせるスラッガーだった。

07、08年と日本球界最後の2年はロッテでプレー


 2年総額520万ドル(約6億1900万円)でロッテに移籍して迎えた07年開幕戦ではダルビッシュ有から劇的な同点満塁弾、9月にはサイクル安打も達成するが骨折もあり15本塁打と低迷し、08年はわずか8本塁打でチームを去った。09年11月にはロッテの入団テストを受けるも不合格に終わっている。

 とんでもなくデカくて規格外のパワーを誇り、グラウンド上でボッコボコに殴り合う激しい乱闘の常連。現代野球ではなかなか許容されないタイプの選手かもしれないが、今振り返るとNPB6シーズンで通算145本塁打という数字以上に、記憶に残る名シーン・名勝負がやたらと多いことに気が付く。

 フリオ・ズレータは、平成助っ人史に残る“ベストバウトマシーン”だったとも言えるだろう。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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