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プロ野球回顧録

落合博満が「プロで唯一の精神的な天敵」と苦手意識を口にした通算139勝左腕・川口和久

 

巨人、阪神に強かったのも魅力


荒れ球を武器に広島で先発として活躍した川口


 史上初の三冠王を3度獲得した落合博満が「プロで唯一の精神的な天敵」と苦手意識を口にした投手がいた。広島、巨人でプレーした通算139勝左腕・川口和久だ。

 落合と川口の現役時代の対戦成績を紐解くと、118打数32安打で打率.271、6本塁打、15打点と決して抑え込まれたわけではない。ただ、川口の速球のキレと制球の水準が1試合を通じて高く、投球パターンを研究しても投球の途中で球種を変えられてしまい、深く考えず本能的に立ち向かうしかなかったと落合は振り返っている。また、川口が全盛期にイチローと対戦していればシーズンを通じて抑えられる可能性が最も高い投手だっただろうと語っている。天才打者にここまで言わしめるサウスポーの投球は確かにすごかった。

 川口は鳥取市内で生まれ育ち、鳥取城北高に進学。甲子園出場はならなかったが、松本正志(元阪急)、田辺繁文(元広島)と共に、「高校左腕三羽ガラス」としてプロから高い評価を受けた。ロッテ金田正一監督がその才能をほれ込み、77年にロッテからドラフト6位で指名を受けたが、入団を拒否。社会人野球・デュプロに進む。3年間プレーしてドラフトで原辰徳の抽選を外した広島に「外れ1位」で入団する。

 プロ2年目の82年に4勝をマークして頭角を現すと、3年目に長谷川良平臨時コーチからワインドアップ投法に戻すように指示されたことが転機となり、自己最多の15勝をマーク。85年以降は6年連続2ケタ勝利と先発の柱として稼働する。研究熱心な川口はカーブ、スライダー、フォーク、スクリュー、シュートと直球を生かす変化球を習得し、精度を高めることに余念がなかった。スピンの効いた直球で三振奪取能力が高く、87、89、91年と3度の最多奪三振をマーク。一方で制球は決して良くはなく、シーズン与四球のリーグワーストを6度記録している。打者の恐怖心を植え付ける荒れ球も武器になった。

 巨人、阪神に強いのも魅力だった。広島時代は巨人戦33勝31敗。巨人戦で30勝以上をマークした投手のうち、勝ち越した投手は星野仙一(元中日)、平松政次(元大洋)、川口の3人のみだ。また、阪神キラーでもあり、83年は阪神戦3試合連続完封勝利をマーク、87年が5勝0敗、88年も5勝1敗とカモにするなど、対戦成績は36勝21敗と大きく勝ち越した。

巨人では自身初の胴上げ投手にも


94年オフにFAで巨人へ移籍した(左から川口、長嶋監督、広澤克実


 94年オフに悩んだ末にFA宣言。広島に愛着があったが、東京に住んでいる妻の義父がガンになったことが判明し、近くで寄り添いたいというのがFA権行使の大きな理由だった。川口は週刊ベースボール本誌のコラムで当時を述懐している。「すぐ西武のコーチをしていた森繁和さんに声を掛けてもらった。社会人時代にお世話になった大好きな先輩。ありがたかったな。その後、阪神、巨人からも声を掛けてもらったけど、俺は西武に行こうと8割方決めていた。でもね、ある日、嫁さんが『長嶋さんという方から電話よ』って。俺は『誰だっけ。長嶋さんって』と思って出たら、巨人の長嶋茂雄監督さ。すぐ受話器を持って直立不動になった。だって、俺が野球を始めたきっかけが長嶋さんだからね。ずっとあこがれていた人だよ。翌日、食事をしようとなって、飛行機で東京に行き、神様みたいな人と1対1で食事をした。そこで『頼むよ、巨人に来てくれないか』と言われちゃった。舞い上がるよね。しかも、余命何カ月と言われていた義理のオヤジは巨人の大ファンだった。俺は『ああ、これも運命だな。いい冥途の土産にしてもらえるかな』と思った」

 広島の選手で球団史上初の他球団にFA移籍。巨人では試練を味わった。左の柱として期待されたが、移籍1年目の95年は4勝のみ。96年も5月にファーム降格して引退が頭をよぎったが、宮田征典二軍投手コーチの助言を受けて救援に転向。救援で防御率1点台前半の好成績を残し、リーグ優勝に貢献する。10月6日の対中日戦(ナゴヤ)で自身初の胴上げ投手となった。

 98年限りで現役引退。「いいことばかりじゃなかった。巨人に行ってからは随分ヤジられたし、広島に残るか、西武に行ったほうが長く野球ができたんじゃないかとも言われた。けど、いま俺がここにいるのは巨人に行ったおかげ。たくさんの人と出会えた。年を取って思うのは、おカネのつながりって簡単に切れるけど、人のつながりは、こっちが大事にすれば切れないっていうこと。ずっと広島にいても、西武に行っても、きっとまた違ったいい出会いがたくさんあったと思うけど、俺は今も自分の選択にもまったく後悔はないよ」と振り返っている。

 プロ18年間で通算435試合登板、139勝135敗4セーブ、防御率3.38。生き様も真っ向勝負の速球派左腕だった。

写真=BBM
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