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プロ野球回顧録

イチローらと並んで打点王にもなった、ロッテの主砲“幕張のファンタジスタ”は

 

キャリアハイとなった95年


95年は123試合に出場して打率.301、25本塁打、80打点をマーク


 庶民派のローカルヒーロー。ロッテファンにこよなく愛され、その勝負強いバッティングから“幕張のファンタジスタ”と呼ばれた。常にファンに明るい笑顔を与えた選手だけに、最初から少々、脱線させてもらうが、初芝清にはウソのようなホントの話がたくさんある。なじみの床屋に行ったとき、「たまにはブリーチ(髪を脱色すること)してみますか」と店員に言われ、「うん」と答えた初芝。「ブリッジと聞こえたんですよ。パーマの道具かなと思って……」。その後、ウトウトしてパッと目を覚ましたら金髪に! 「帰ったら娘に『きゃあ〜』と言われました」と言いつつも、この吉本新喜劇のような展開を意外と喜んでいた。

 二松学舎大付高では投手だったが、東芝府中で内野手転向。ドラフト4位で1989年にロッテへ入団、背番号は「0」だった。1年目から70試合に出場したが、内角を苦手としていた初芝に、有藤道世監督があのドスの利いた声で、「とにかく数を打て!」と指示。それは練習時間だけではない。川崎球場の試合なら、時間があれば試合に出ていても合間を見て、室内で打っていたという。ただ、理不尽なだけではなく、実際にこの打ち込みで内角に詰まることが気にならなくなり、しっかりさばけるようになった。初芝の打撃のベースをつくった特訓だ。

 90年にはキャンプでの奮闘が金田正一監督に認められ、三塁スタメンに。18本塁打と長打力でもアピールした。打撃フォームは、1年目は同じ東芝府中−ロッテというコースをたどった先輩・落合博満(当時中日)のような神主打法にチャレンジしたが、「同じフォームで打てば、同じように打てると錯覚したんです」と自然体の構えに戻している。

 打撃のキャリアハイは95年だ。イチローオリックス)、田中幸雄日本ハム)と打点王を争う。ラスト2試合目の9月25日近鉄戦では79打点目。これはトップにいた田中に並び、イチローには1差をつけるものだった。

 そして、28日の西武戦が泣いても笑っても最後。この時点で、イチローが2試合、田中が1試合を残していたので、何とか1打点は欲しいと思っていた。しかし3打席を凡退。4打席目は走者なしで迎えた。つまり、打点を挙げるにはホームランしかない展開だ。しかも、この時点で打率は四捨五入で3割ちょうどだから、凡退したら3割も切ってしまう。首脳陣に「どうする?」と“ファイナルアンサー”を聞かれた初芝は迷いなく「行きます!」。いつものように外角の速球に意識を置いていると、ドンピシャの球。思い切り振った一打が狙いどおりのホームランだ。
 
 それでも試合後には「僕は自分のできることをやりました。どうぞ、みなさん抜いてください」と謙虚な(?)コメント。最終的には3人がタイで打点王を獲得している。

引退試合後も打席に立って


引退試合でナインの手によって胴上げされる初芝


 三塁守備に関してはややオーバーアクション気味で、決して堅実とは言えず。「こだわりがある」という言葉がファンの間で話題になったことがあるが、初芝自身は「あれは自分に対する言葉。こだわりを持っていこうというね。ただ、ヘタではないと思いますよ。フライの捕球がどうだと言われたことがありますが、あれはマリンに来てからの話。あの風ですからね」と語っている。

 2002年までスタメンを守り、通算1427安打まで伸ばしていたが、03年は若手への切り替えもあって、代打中心の起用となる。ただ、このシーズンは打撃絶好調。打率.312をマークし、代打での7打席連続安打もあった。05年限りで引退。引退試合の打席は足へのデッドボール。オーバーアクションでグラウンドをぴょんぴょん飛び跳ね、千葉マリンが爆笑に包まれた。

 ただ、初芝らしいというのか、引退試合翌日も試合に出場。しかも、リーグ優勝を決めたソフトバンクとのプレーオフ第5戦では、1対2の8回表に代打で登場。三塁へのボテボテのゴロだったが、常々、「野球には何があるか分からないから」と心掛けていた全力疾走。すると三塁手と遊撃手が交錯し、内野安打になって、流れを一気に引き寄せて逆転勝利につなげた。ある意味、引退セレモニーで「優勝してからバットを置く」と宣言したとおりの一打でもあった。

写真=BBM

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