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怪童・尾崎行雄、5年ぶり涙の勝利/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

本人も仲間たちも涙


東映・尾崎



 今回は『1972年7月17日号』。定価は100円。

 6月25日、後楽園の近鉄戦、デーゲームだった。
 試合前、場内アナウンスで、その男の名が告げられると、球場から一斉に「頑張れ! 尾崎」の歓声が沸き起こる。
 同年、初の先発。浪商を2年で中退して1962年に東映入りした怪童・尾崎行雄だ。
 1年目から快速球を武器に20勝を挙げ、優勝の立役者となった。
 その後、手の豆、故障もあったが、64年から3年連続20勝以上をマークし、22歳にして98勝を挙げている。

 しかし、以後、急失速。67年8月25日、西鉄戦の完封の後、勝ち星から遠ざかっていた。最大の原因は右肩痛だ。一時は2メートルしか投げられなかったという。
 復帰後も球速が上がらず、変化球主体にスタイルを変えたが、勝ち星はなかった。

 実は71年オフの契約更改で、球団から肩が治るまで、まず打撃投手と言われ、一度、引退を決意した。
 しかし、引退届を持って球団事務所に現れたところで田宮謙次郎監督に「ここで投げ出したら今までの苦労が水の泡だぞ。男だったら、もう一度やってみろ」と諭された。

 実際、この年のシーズン序盤は試合前打撃投手として投げ、試合が始まると家に帰っていた。
 コーチの山根俊英は、
「あいつはプロ野球選手の鑑だ。フリーバッティングを命じても嫌な顔ひとつ見せず、やってくれる。若い者を説教するのに教科書みたいなものだ」
 と話していた。
 5月に入り試合に投げ始め、リリーフで登板した6試合ですべて無失点。実力がつかみ取った先発だった。

 この試合は初回、大杉勝男が先制弾、4回には張本勲が2ランで援護。尾崎は7回を3安打2失点に抑え、山崎武昭にマウンドを譲ると、あとは「怖くて見てられなかった」とトレーナー室にこもった。
 試合は4対2で無事勝利。尾崎が勝ち投手だ。張本がバンザイをし、大杉がグラウンドに戻った尾崎を抱え上げた。
「どの勝ち星よりうれしい」
 と尾崎が泣くと、周りももらい泣きした。東映は67年から4年連続Bクラスと低迷。野球もナインの気性も荒っぽかったが、ずっと、そんなチームだった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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