週刊ベースボールONLINE

よみがえる1990年代のプロ野球

1995年、ロッテ監督1期目のバレンタインはなぜ退任したのか/よみがえる1990年代のプロ野球

 

広岡達朗GMとの確執はいつから……


1995年編表紙


 1990年代を1年1冊で振り返るシリーズ、第2弾は阪神淡路大震災の1995年だ。
「がんばろうKOBE」を合言葉に、オリックスがリーグ優勝を飾った年だが、ここでは、この1冊から同年パの2位に躍進したロッテについての記事を抜粋しよう。

「ベースボールというのは楽しくプレーするものだ。だから私はその先頭に立とうと考えている」
 ロッテの新監督に就任したボビー・バレンタインは、そう言って、映画俳優のような、とびっきりのスマイルを見せた。

 9年連続Bクラスと、落ちるところまで落ちたロッテの再建を託され、日本球界初のGMとなったのが広岡達朗だった。そして、その広岡GMが「日本に適任者はいない」と監督に招へいしたのが、44歳のバレンタイン監督である(5月で45歳)。
 故障にも泣き、選手としての実績は大したものではなかったが、卓越したチームマネジメント力を買われ、85年、34歳の若さでMLBテキサス・レンジャーズの監督に抜てきされ、92年まで務めている。

 かつてヤクルト西武で厳しい管理野球を打ち出し、一世を風靡した元監督と、合理性重視のメジャーの元監督。両者は水と油のようにも思われたが、当初は比較的円滑だった。
 アリゾナ州での春季キャンプでは、広岡GMが選手に直接指導する姿があったが、バレンタイン監督は「GMが直接選手に口を出し、監督としてやりにくさがないか」という問いに対し、
「とんでもない。広岡さんに野球選手と一緒に仕事をしてはいけないというのは、魚に向かって、水の中では泳ぐなと注文するようなものだよ。広岡さんは、われわれにとって非常に大切なギフトを持っている。それは野球に対する知識と、野球を教え実演してみせる能力だ。時間を割いて選手たちを教えてくれることを、私は非常に名誉だと考えている」
 と答えている。単なる社交辞令ではないだろう。広岡GMに対する的確な観察とリスペクトを感じる言葉だ。
 ただし、バレンタイン監督は、メジャーの荒波で生きてきた男でもある。穏やかな笑顔の奥に、譲れぬ強いプライドがある。
 誇り高き2人の良好な関係は、嵐の前の静けさのようにも見えた。

 ロッテはこの年、バレンタインの推薦でヒルマン、インカビリア、フランコと3人の助っ人を獲得したが、この中の一番の大物がフランコだ。91年レンジャーズ時代に首位打者。前年94年もホワイトソックスで打率.319、20本塁打をマーク。メジャーのストライキがなければ、かつての指揮官バレンタインの誘いがあっても来日はしなかったはずだ。

 キャンプではトム・ハウスが巡回コーチとして投手を指導、打撃コーチのロブソンコーチは球をとらえた後、押し出すようにバットを出し、それを上に振り上げる「エンド・アップ打法」を提唱した。さらに近鉄を93年に退団した立花龍司コンディショニングコーチがメジャー流のトレーニングを指導。世界最先端の技術とトレーニングに選手たちの目は生き生きと輝いていた。

 開幕から順調なスタートを切ったわけではない。2試合目で1勝した後、「このウイニングボールは大切にとっておきたい。この次にほしいのは、日本シリーズを勝ち抜いた137試合目のウイニングボールだ」と話したバレンタイン監督だが、4月は8勝14敗1分けで最下位。それでも「開幕から2カ月は待ってほしい。6月には必ず上昇する。選手の能力、他チームの戦力を把握するのにそのくらいはかかるものなのだ」と、いつものように笑顔で記者たちに説明していた。
 しかしその後も振るわず、6月10日からは7連敗(1分け挟む)。借金11を抱え込む。広岡GMがバレンタイン監督に黙ってコーチを呼び出す姿が頻繁に見られるようになった。

 6月20日、日本ハム戦(千葉マリン)の勝利から快進撃が始まった。以降24試合で18勝6敗のハイペースで最下位から一気に3位に浮上。球宴前、10年ぶりに貯金でのターンを決めた後の選手会長・初芝清の言葉がいい。
「勝率5割以上は未知の世界。どんな感じなのかと思っていたら、とても楽しく野球ができる世界だった」
 チームを引っ張ったのは小宮山悟伊良部秀輝、ヒルマンの先発三本柱だ。打線もクリーンアップが堀幸一、フランコ、初芝で固定されると、徐々に得点力がアップ。7月を13勝5敗1分で終えると、8月29日の西武戦(西武)に勝利し、2位に浮上した。
 球宴後2位にとどまったのは85年以来、これも10年ぶりだ。フランコは「このチームはもう勢いだけじゃないよ」と断言した。

 夏場にはバレンタイン監督が、メッツから誘われているというニュースがアメリカのメディアであったが、「そんな話が来たことはない。来年もロッテでやるつもりでいるよ」ときっぱり。9月2日、千葉マリンでのオリックス戦を訪れた重光昭夫オーナー代行も「もともと2年契約ですから、当初の予定どおり来年もやってもらいます」と話していた。

 この年のロッテのハイライトは、9月15日からの神戸3連戦だろう。優勝へのマジックを1としたオリックス相手に、伊良部、小宮山、ヒルマンの三本柱をつぎ込み3タテを飾った。
 試合後、バレンタイン監督は「監督として選手を誇りに思うしかない。恐れ入った」と笑顔で話した。

 この年、伊良部は11勝11敗ながら2.53で最優秀防御率を獲得。小宮山が11勝4敗でリーグ3位の2.60、ヒルマンが12勝9敗、リーグ4位の2.87。打線では打率2位の堀を筆頭にベスト6の中に4人が入っている。
 チームは最終的には69勝58敗3分けの2位。優勝のオリックスに12ゲーム差をつけられたが、10年ぶりのAクラスだった。

 シーズン後の10月17日、バレンタインがアメリカに戻っていたとき球団から解雇の知らせがあった。広岡GMは「優勝できるかというと問題があると判断し、オーナーとオーナー代行に決断していただいた」と語り、解任が自分の意思であったことをはっきり明かした。

 退任後の取材でバレンタインは、広岡GMとの間にすれ違いがあったことを認めた後、「われわれは、もっと直にコミュニケーションを取っていてもよかった、と思っている。私は彼のことをもっと知りたかった」と振り返った。
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング