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編集部コラム「Every Day BASEBALL」

1試合で同点満塁ホームランとサヨナラ弾を打った選手

 



 2月下旬、中日の中村武志バッテリーコーチがキャンプ地の沖縄を離れ、帰名した。原因は胃の手術、療養。現場復帰まで3週間かかるようだから、今のところ開幕には間に合いそうだが、無理はできない。

 中村コーチは1985年のドラフト1位。京都の花園高から入団した捕手だった。当時の中日には82年に優勝したときのMVP捕手がいた。年齢差は11。中尾の後継者としての指名だった。

 捕手育成は経験が必要で時間がかかる。ましてや高卒。中尾を抜くには時間がかかると思われたが、87年に監督に就任した星野仙一監督が徹底的に鍛え上げ、正捕手に育て上げた。亡くなった星野仙一監督が最も“かわいがった”選手としても有名だ。

 90年代の中日のホームベースを守り続けた。中村武志と言えば、中日ファンなら思い出すのはあの試合だ。もちろん当の本人もそうだろう。1991年7月19日の巨人戦。舞台はナゴヤ球場だった。

 7回表が終わって8対0。リードしていたのは中日ではなく巨人。その裏に落合博満がソロ本塁打を放ったものの、焼け石に水。しかし、この後にとんでもないドラマが待っていた。

 8回裏。7点を追う中日の攻撃は、この日スタメンマスクの長谷部裕から。その長谷部が中安打で出塁し、一死後に一番・立浪和義が四球を選ぶと、続く山口幸司が右前にポトリと落として、一死満塁となった。

 少しずつ球場がざわつき始めた。三番・ライアルもセンター前へ打ち返し、二者が生還して8対3。一死一、二塁となり、落合を迎えたところで巨人は先発の槙原寛己をあきらめ、木田優夫にスイッチした。

 その木田から落合が四球を選ぶ。再び一死満塁。打席に入ったのは五番・川又米利だった。一発が出ればたちまち1点差。重圧を感じていたのは川又ではなく木田のほうだった。ストライクが入らず、押し出し四球で8対4となった。

 続く打者は勝負強い六番・仁村徹。しかし、この日は3打数ノーヒット。星野監督はここで代打・中村を告げる。中村は足を痛めてスタメンから外れていた。一発が飛び出せば一気に同点。そしてその一発が本当に飛び出したのだった。

 カウント2-2から木田が投じた5球目。真ん中のストレートを中村が振り抜く。打球は高々と上がり、ナゴヤ球場の大歓声とともにレフトスタンドへ吸い込まれた。この回、7点目。中村が大きな仕事をやってのけ、8対8と中日が同点に追いついた。

 試合は8対8のまま延長戦に入った。一死後、打席に入ったのが中村だった。巨人3番手の水野雄仁のフォークを叩くと、打球は再びレフトスタンドへ吸い込まれていった。打った瞬間、中村は歓喜のガッツポーズ。9対8で中日のサヨナラ勝ちが決まった。

 満塁本塁打にサヨナラ本塁打の離れ業。1試合に2本の劇的本塁打を放った選手はなかなかいない。ちなみに2本とも巨人の捕手は中尾だった。中村コーチが復帰したら、もう30年近くも前になるあの日の試合を振り返ってもらいたい。

写真=BBM

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