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平成助っ人賛歌

「パワーは神から、愛は妻から」“松井秀喜のライバル”ペタジーニの原動力は25歳上の愛妻?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

安月給から脱却するために来日


ヤクルトから移籍した巨人入団発表の際のペタジーニ(右)、オルガ夫人


 2001年、日本球界の顔は巨人の松井秀喜だった。

 そのシーズンからイチロー新庄剛志が渡米して、日本ではさらにMLB人気が高まっていた。当時の『週刊ベースボール』でも、表紙や巻頭カラー記事はメジャー・リーグ中心だ。表紙コピーを確認すると01年6月4日号「メジャー震撼!日本人選手本場で躍る」、6月11日号「イチローはディマジオを超えられるか」と毎週のようにシアトル・マリナーズのユニフォームを着たイチローや、メッツの新庄、さらにはレッドソックスの野茂英雄といった面々の活躍をトップニュースで報じた。

 そんなMLBブームの中で、松井秀喜が01年6月の週べ裏表紙カラー広告に3週連続で登場している。大塚製薬のオロナミンCロイヤルポリス、久光製薬のエアーサロンパスEX、そしてミズノのイメージキャラクターで、コピーはそのままズバリ「ニッポンの4番。」である。球界の価値観が大きく変わろうとしていたこの時期、背番号55はまだ地上波で視聴率20パーセント前後を記録するナイター中継で主役を張り、確かに何かを背負っていた。巨人というか、変わりゆく日本球界そのものである。松坂大輔高橋由伸はプロ入りしてまだ間もなかったし、清原和博桑田真澄はケガがちとなりすでに30代を迎えていた。イチローはアメリカへ去り、もう最後の砦はこの男しかいない。翌02年オフ、松井はメジャー移籍表明の際に「裏切り者と思われるかもしれないが……」と苦渋の表情で語ったが、その台詞が当時の背番号55に託された役割の大きさを表していた。

 さて、20世紀に別れを告げ21世紀が始まるころ、そんな松井と打撃タイトルを毎年競い“ゴジラのライバル”と呼ばれたヤクルトのスラッガーが、ベネズエラ出身のロベルト・ペタジーニである。いまだにバラエティ番組では25歳上の超姉さん女房、オルガ夫人(出会ったときは友人の母ちゃん)が根強くネタになるが、野球選手としてのペタジーニは本物だった。なにせ来日1年目の1999年は打率.325、44本塁打、112打点、OPS1.146という凄まじい日本球界デビューを飾っている。しかもまだ28歳の若さだ。

 なぜこのレベルの選手が20代の内に日本に来たのか疑問だが、その来日の舞台裏を元ヤクルト国際スカウトの中島国章氏が自著『プロ野球 最強の助っ人論』(講談社)で明かしている。3Aでは97年に32本塁打、98年に24本塁打と2年連続3AのMVPを獲得していたペタジーニは、アストロズ、パドレス、メッツ、レッズと渡り歩いた8年間でたったのメジャー通算10本塁打。あれだけ3Aで打ちまくっているのにどうしてオレをビッグリーグで使ってくれないのか? チームに対し不満を抱え、マイナー・リーガーの安月給から脱却するために、本人が一定の出場機会を求めているという情報を入手したヤクルトスカウトの中島氏が、「日本に来たら100パーセント試合で使う。ヤクルトに入ったら毎試合出場できることを約束する」と口説き落とした。中島氏はさらにペタジーニの成功理由として、当時のヤクルト若松勉監督のグラウンド外では干渉しない放任主義を挙げている。

ヤクルト日本一に貢献


来日当初から本塁打を多く打ちながら打率も残した


 とは言っても、来日当初から打ちまくったイメージしかないペタジーニだが、意外なことに1年目のオープン戦は19試合で1本塁打の低空飛行だった。外野守備はぎこちなく一塁しかできず、日本での成功は難しいと思われたが、開幕の横浜戦で第4打席に横浜スタジアムの右中間場外へ消える150メートル弾をかっ飛ばす。それでも、序盤は同年にヤクルトへ入団したマーク・スミスの方が目立っていた。スミスは3Aで3年連続の打率.340以上をマーク。91年にオリオールズからドラフト1位指名を受けた選手で、球団ではあの“赤鬼”ボブ・ホーナー以来のメジャードラフト1位指名を受けた助っ人の来日と話題に。それに応えるように背番号10は、4月9日の広島戦で2、3、4号の3連発という派手な活躍を見せる。

「オレの目標は、最終的にはヤクルトの監督さ。クビにされない限り、米国で再び野球をすることはないだろう」

 ファンに対するマイクアピールも上々で、いまいち堅いコメントが多かったペタジーニより人気も高かった。週べ99年5月31日号では「ヨシノブを逃がすな!本塁打王争いのダークホースはヤクルトの長距離砲トリオ、ペタジーニ、スミス、高橋智」という記事も確認できる。しかし、次第に日本球界に慣れ出したペタジーニはひとり加速する。神宮でホームランを打ったときにもらえるつば九郎人形が珍しく、すべて自宅に持って帰り並べていたら、やがて自宅がつば九郎であふれかえることになる。

ヤクルト時代、キスを交わすペタジーニ(左)、オルガ夫人


 ホームで試合がある日はオルガ夫人が試合途中にクラブハウスへやって来て待機。熱烈キスでお出迎えというなんだかよく分からないルーティンは置いといて、ふたり仲良く自宅マンションまで15分ほど夜の散歩をして帰る(さすがにチームバスへの同乗は周囲の冷たい視線に気付きすぐやめたという)。『週刊宝石』99年10月28日号のインタビューでは、日本の女性に目が行くか聞かれ、「(フンという表情で)マイワイフ・オンリー(笑)」と即答。終盤には松井との熾烈なキング争いの果ての敬遠合戦で、ルーキー上原浩治がマウンド上で悔し涙。この年、ペタジーニはGキラーとして鳴らしカード別最多の11本塁打、9月初旬の3連戦ではなんと11打数9安打11打点の大暴れでチーム3連勝の立役者に。星野中日の優勝が決定的となり、「巨人の逆転Vを砕いた男」と称された。

 阪神へ去った野村監督のあとを受け継いだ若松ヤクルトは4位に終わったものの、ペタ砲は1年目から本塁打王、最高出塁率、一塁手ベストナインと大活躍。年俸1億5000万円への大幅アップを勝ち取った2000年はフル出場で打率3割、35本塁打、95打点を悠々クリアした。3年目の01年は春先に左ヒザ骨挫傷を負いコンディション面が不安視されたが、不動の四番に座り39本塁打、127打点、出塁率.466と打撃タイトル“三冠”に輝きチームは優勝、リーグMVPも獲得した。30歳になる直前に受けた週べ01年6月18日号の独占インタビューでは、毎年の好成績を冷静に自己分析している。

「ホームランを狙っている、狙っていないかは別にして、バッターボックスでは常にボールをよく見て、強くたたくことだけを考えているよ」

「特にプレッシャーは感じないね。一人ひとりの仕事の役割があると思うし、得点圏にランナーがいれば、それをかえすのが僕の仕事」

「1年目、日本に着いたときから、ここはベネズエラでもアメリカでもない、日本だと、そう気持ちを切り替えた。適応しなくちゃいけないという気持ちがあったから、あまりたいへんじゃなかったね」

 やはり堅いコメントが並ぶと思いきや、最後にお約束の「パワーは神から受けたもので、愛は妻からもらったもの(笑)」なんつってオルガネタをしっかりかますお茶目なペタジーニであった。02年も41発を放つが、夏場には死球攻めに怒り(自軍投手の報復がないことにも怒り)、甲子園での試合途中に新幹線に飛び乗る帰宅騒ぎも。結局、ヤクルト在籍4シーズンで毎年3割を超える打率に加え、通算160本塁打(年平均40本)、429打点。一塁手部門で4年連続ベストナイン、3年連続のゴールデングラブ賞という素晴らしい成績を残して、この年限りで巨人へ移籍した。

松井の穴埋めを期待されて


 偶然にも、ライバル松井がヤンキース移籍後の穴埋めを期待されての移籍である。来日時6000万円だった年俸は、当時の球界最高額を更新する7億2000万円にまで高騰(一部夕刊紙では実際の年俸は10億円以上と報じられた)。しかし、一塁には清原がいたため、外野手として起用されたペタジーニは守備面の不安を露呈したが、打撃では相変わらずの勝負強さで規定打席不足ながら打率.323、34本塁打、81打点、OPS1.139と存在感を見せた。しかし、翌04年は一塁手で清原と併用され、打率.290、29本塁打とそこまで悪い数字ではなかったものの、やはり高騰しすぎた年俸面がネックとなり退団。その後、アメリカへ戻り一度引退するも、08年以降はメキシコや韓国でもプレー。39歳となった2010年にはソフトバンクと契約し日本のファンを驚かせたが、10本塁打に終わり、この年限りでバットを置いた。

 やはり、ペタジーニが最も輝いたのは現在もアツアツなオルガ夫人と……じゃなくて松井としのぎを削ったヤクルトでの4年間なのは間違いないだろう。99年はペタ44本に対して松井42本(自身初の40発台)、翌00年はペタ36本を抑えて42本の松井に軍配、01年は再び39本の背番号9が36本の背番号55の前に立ちはだかり、この悔しさが翌年の平成日本人打者唯一のゴジラ50発超えにつながっていく。ちなみに01年のペタジーニは127打点で打点王も獲得するが、同年キャリアハイの121打点を記録した清原和博(巨人)の悲願の初主要打撃タイトルも阻止してみせた。

 今思えば、松井秀喜が日本の四番へと成長していく過程で強力なライバルとして君臨し、大砲を並べ猛打を誇っていた長嶋巨人の打撃タイトル独占をひとりで食い止めたのが、ヤクルト時代のロベルト・ペタジーニだったのである。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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