3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 東門明の悲劇
第1戦、山口のピッチング
今回は『1972年7月24日号』。定価は100円。
今回は、プロ野球から離れる。
大学球界に奇跡の右腕が登場した。
関大のエース、
山口高志。集合写真の後列になると、完全に埋もれてしまう小柄の男ながら、いざマウンドに立てば威風堂々、グラウンドのキングとなる。
山口は、この年の全日本大学選手権の優勝投手でもあり、決勝の慶大戦では完封勝利を飾っている。関大OB・
村山実(当時
阪神兼任監督)二世とも言われた剛腕だ。当時の関大監督・達摩省一は同級生でもあった。
7月8日、神宮球場で「第1回日米大学ワールドシリーズ」が開幕。日本代表には、のちプロに進む法大の
長崎慶一、慶大の
山下大輔ら、アメリカ代表には、のち
巨人入りする
クロマティがいた。
記念の第1回だけあり、球場に皇太子ご夫妻(上皇、上皇后)をお招きし、アメリカ式に貴賓席から両軍のキャプテンに向かい、始球を行った。
おそらく、アメリカにしてみれば楽勝のつもりだっただろうが、試合は6対3で日本の勝利。先発の山口は完投勝利だった。
第2戦はアメリカがうっぷん晴らしと打ちまくって11対1と快勝。なお、この試合で早大の東門明が走塁時に野手バニスターの送球を右側頭部に受け、昏倒。病院で頭部の切開手術を行ったが、意識不明の重症。その後、死亡した。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM