3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 荒川へ長嶋からのメッセージ
今回は『1972年7月31日号』。定価は100円。
1972年のオールスター投票が話題になっていた。
7月10日の23時59分が締め切りだったが、10日の朝刊は、「長嶋ピンチ」を報じていた。
9日発表の1位は
長嶋茂雄、しかし、その日、約1000票差だった
ヤクルトの
荒川堯が792票差で首位に躍り出た。もはや長嶋が抜くことは無理と思われた。
ただ、長嶋が不振だったわけではない。打率.303、18本塁打。
荒川自身、
「えらいことになってしまった。僕なんてどう見たって実績不足です。心技ともにオールスターなんか出られる選手じゃない。大洋のボイヤーだって僕よりうまいし、とにかく恥ずかしい」
と話していたが、長嶋からは
「ファン投票で選ばれるんだからいいじゃないか。とにかく力いっぱいやることだ。僕は監督推薦でも喜んで出場するから気にせず堂々と胸を張ってやれ」
とメッセージをもらった。
この年は1枚のはがきに1ポジション、セ、パ各1名の名前を書いて投票となっており、組織票が大きな影響を与え、より人気投票の色合いが強まるのでは、という危惧は言われていた。
これに燃えたのが、紳士たちの巨人ファン。長嶋は自分たちが投票しなくても大丈夫と思っていたのだろう。
結果、最終日で長嶋は3497票、荒川184票で逆転。長嶋は15年連続ファン投票選出だ。
「うれしいよ。だけど、当選するしないは問題じゃない。こんなにも僕を心配してくれて、応援してくれる人がいったってことは、本当に涙がこぼれるほどうれしかったね」
盟友・
王貞治も大喜び。
「チョーさんのいないオールスターなんて、なんとかの入っていないコーヒーだよ。これで今年のオールスターは盛り上がりますよ」
7月14日、日米野球で送球を頭に受け重症となっていた早大の東門明が死去。日米野球第4戦(
中日)の前、全選手、役員、関係者が冥福を祈り、1分間の黙とうをした。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM