1年目から10勝をマーク
強心臓とシュートを武器に、厳しい内角攻めのイメージが強い
西村龍次だが、本人は「外角低めが主体。内角は打者の意識を分散させるための球です。古田(
古田敦也)さんが場面を選んで使い、相手に印象づけるのがうまかったからでしょう」と解説する。
香川・寒川高からヤマハに進み、1年目から都市対抗で優勝。「勝つ味、勝つ野球を経験できたことはプロに入ってからも大きかった」と振り返る。ドラフト1位で1990年、ヤクルト入団。2位がトヨタ自動車の捕手・古田だった。1年目は31試合に登板し、10勝。翌91年は15勝8敗、防御率2.80でエースとなる。完封6、無四球試合4はリーグ最多だった。開幕投手を務めた翌92年は14勝、リーグ優勝に貢献した。93年も開幕投手となると、チームはリーグ連覇を果たした。
入団から93年まですべて2ケタ勝利を挙げていたが、94年は5月に
巨人戦で危険球から退場処分。この影響もあったのか、以後、内角攻めが甘くなったとも言われ、6勝に終わった。なおセ・リーグではこの後、危険球は1球で即退場となる。
95年、開幕直前になって
吉井理人との交換トレードで近鉄移籍。1年目は5勝を挙げたが、2年目は首脳陣との確執もあり二軍暮らしが長くなった。翌97年はウエスタンでも1試合だけで自由契約……。
「肩やヒジは痛めていましたが、投げられないほどではなかった。チャンスをもらえなかったですね。悔しかったですよ。ただ、打たれて負けていたら自信もなくしたと思うけど、何が悪かったわけでもないので」
ダイエー時代の西村
テストを受け、98年ダイエーに。西村は新天地で鮮やかによみがえり、10勝をマーク。カムバック賞に輝いた。99年は開幕投手。4勝に終わったが、ダイエーとしては初めての優勝。西村が開幕投手での優勝は92、93年に続いて3回目となった。翌00年もゲンをかついて開幕投手を務め、またも優勝。ただし、西村の登板はその1試合だけ。続く01年も開幕投手を務めたが、チームは2位でついに伝説は終わった。
西村も2試合の登板で0勝2敗。同年限りで引退となった。
写真=BBM