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えっ! 西鉄の榎本喜八が師匠の荒川博を無視した?/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

西鉄は東尾修、加藤初だけ投げていた?


西鉄・東尾



 今回は『1972年7月31日号』。定価は100円。

 相変わらず弱い西鉄ライオンズ。5月16日までに5勝19敗というからすさまじい。しかも、その5勝がすべて東尾修だった。
 翌17日以降は新人・加藤初が大活躍。以降、7月14日までチームは19勝21敗で、うち9勝が加藤だ。この間、ほかの投手は東尾が5勝、河原明4勝、高橋明1勝だから、いかに東尾、加藤初依存が高かったかが分かる。
 
 不振のチームの中で、独特の存在感を持っていたのが、榎本喜八。西鉄の雑観記事になることが多く、本人は、
「なんで俺みたいな地味な男がにぎやかに書かれるのか」
 と盛んに首をひねっていたという。

 平和台の試合前には、自軍の練習が終わるとベンチの隅に座り込み、相手の打撃練習をじっと見ているのが常だった。このとき訪問客が来てサインを求めたり、記者たちが寡黙な榎本の口を割らそうとあれこれ質問してきた。
 その際、気分が乗らないときは、
「ばかやろう」
 と一喝したらしいが、それもまた面白おかしく記事になってしまい、その後は、ひたすら黙って無視するようになったという。
 ただ、あるとき、相手の打撃練習をベンチ前で直立して見ていたとき、打撃の師匠・荒川博が来て後ろから、
「おい、エノ」
 と声をかけた。すると榎本。そちらを見ずに手でシッシと合図。
「おい、俺だよ、エノ」
 と言われ、やっと荒川だと分かって、あわてて頭を下げた。
 
 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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