週刊ベースボールONLINE

プロ野球回顧録

5度盗塁王獲得し、現役最後も31盗塁 9年間のプロ野球人生を駆け抜けた阪神のスピードスターは【プロ野球回顧録】

 

野村監督が獲得を要望


阪神で通算381盗塁をマークした赤星


 疾風のごとく駆け抜けた野球人生だった。元阪神・赤星憲広は入団1年目からセ・リーグ記録の5年連続盗塁王を獲得したが、脊髄損傷の大ケガを負い、9年で現役生活を終えている。引退して12年が経つが、球界屈指のリードオフマンとしての活躍ぶりは今も野球ファンに語り継がれている。

 愛知県刈谷市で生まれ育った赤星は県立大府高に進学。右打者だったが俊足を生かして左打者に転向すると、1年秋に遊撃の定位置を獲得。2年春、3年春と甲子園に2度出場する。亜大に進学後もリードオフマンとして歴代3位のリーグ通算45盗塁をマーク。俊足を生かした外野の守備にも定評があったが、170センチと身長が小柄だったこともあり、ドラフトで指名を見送られた。

 社会人野球・JR東日本でシドニー五輪の強化指定選手に選ばれ、阪神のキャンプに参加したことが野球人生の大きな分岐点となる。ドラフトでは球団内で反対の声が上がったが、当時の野村克也監督が獲得を要望して4位で指名される。

 野村監督は生前に週刊ベースボールでこう振り返っている。

「もともとスカウトのリストに、彼の名はなかった。しかし当時の阪神には、快足選手が皆無。『足の速い選手を獲ってくれ』とスカウトに頼んでも、『いない』と言う。そこで、赤星のことを思い出した。JR東日本時代、シドニー五輪の強化指定選手に選ばれ、阪神のキャンプに参加していた。170センチと小柄だが、とにかく足が魅力。『赤星を獲ってくれ』と言うと、『足だけですよ』と答えが返ってきた。『プロなんだから、いいんだよ、足だけで。1つセールスポイントがあれば、それで十分。9回同点からランナーが出た、ピンチランナー・赤星。そんなふうに使うから』。依然、スカウトは大反対だったが、私が強引に獲得を決めた」。

打撃センスに惚れ込んだ長嶋監督


 赤星は入団会見で「新庄(新庄剛志)選手の穴は僕が埋めます」と発言。前年限りで退団し、メジャーに挑戦したスターの後釜に名乗りを挙げて周囲を驚かせたが、その言葉はハッタリではなかった。入団1年目に128試合出場で打率.292、1本塁打、39盗塁で史上初の新人王と盗塁王のダブル受賞を果たすと、同年から5年連続盗塁王を獲得。03、05年のリーグ優勝に大きく貢献した。03年から3年連続60盗塁以上と阪急・福本豊以来史上2人目となる快挙で、スピードスターは他球団の脅威だった。

 巨人で「代走のスペシャリスト」と呼ばれた鈴木尚広も週刊ベースボールのコラムで赤星に尊敬の念を抱いていることを明かしている。

「技術を向上させていく上で大きな影響を与えてくれた方が、元阪神タイガースの赤星憲広さんです。生きた教材とでも言いましょうか、現役時代は盗塁王5度の走塁を武器とする選手で、阪神戦では一挙手一投足を見逃すまいと、ずっと観察していました。敵味方を超えて、赤星さんにだけは塁に出てほしかった。見ていたかったんです、赤星さんの走塁を。どのようにスタートを切っているのか、タイミングはどうか、スライディングの仕方は……本当に楽しくて、楽しくて仕方がなかったですね。見ていて気付いた赤星さんの特徴は、スタートの反応がいいことと初速。しっかりと体の力が抜けて“緩んでいる”ので、滑らかなスタートから姿勢が変わることなくスピードに乗り、次の塁を陥れることができるんです。今の自分の走塁に生かされていることはかなり多いですね。自分をワクワクさせてくれた、尊敬する存在です」。

全力プレーの代償


バットでも力強い打球を飛ばして高打率を残した


 走塁だけではない。入団前は課題と言われていた打撃でも打率3割を5度マーク。当時の監督だった岡田彰布は「赤星の出塁率は高かった。その数字は高く、さらに彼には“足”という強い武器があった。相手エラーでも四球でも、塁に出ればこっちのもんよ。走れるし、動きのある作戦も立てることができた。オレはこの打順、並びが理想的と信じていたし、赤星の一番打者は05年のリーグ優勝の要因のひとつやと今も思っているんよ」と称えている。

 中堅の外野守備でもゴールデン・グラブ賞を6度獲得。再三の美技でチームを救ったが、常に全力プレーの代償は大きかった。09年9月12日の横浜戦(甲子園)でダイビングキャッチを試みた際に全身を強打し、「中心性脊髄損傷」の診断を受ける。プレーを続ければ命の危険も伴う状況に追い込まれた。

 全盛期で突如の引退劇。赤星は同年12月に西宮市内で開かれた引退会見でこう語った。

「この世界に飛び込んで、プロの体の大きさや強さを痛感しました。精いっぱいを出さないと、100パーセントの力と100パーセントのパフォーマンスと100パーセントの気持ちを出さないと勝てない。そういう時に『次にやったら』という恐怖感を持って試合に臨む、100パーセントのプレーができないと考えた時点でプロとして身を引くべきだと考えました」

 現役最後の09年も91試合出場で31盗塁をマーク。9年間でマークした通算381盗塁は歴代9位に該当するが、引退したのは33歳の若さだった。脚力に衰えは見えず、大ケガに見舞われなければまだまだ記録を伸ばせただろう。通算1276安打を積み上げたが、2000安打も十分可能な数字だった。惜しまれた引退だったが、赤星は全力で9年間のプロ野球人生を走り抜けた。その濃密な時間を私たちは忘れない。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング