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オールスターで選手がベースコーチに入る元祖は長嶋茂雄だった?/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

シピンの趣味は釣り


表紙は巨人長嶋茂雄



 今回は『1972年8月7日号』。定価は100円。

 今ではオールスターで選手が一塁、三塁コーチに立つシーンも珍しくないが、元祖は、この人だったのかもしれない。

 1972年、東京球場でのオールスター第1戦。2打席だけで巨人・長嶋茂雄が引っ込むと3万5000人の観客が一斉にため息をついた。
 それだけに5回に一塁コーチとして長嶋が姿を見せると一斉に大歓声。審判団から注意され、一度は引っ込んだが、再び登場、さらに大きな喝采が起こった(なぜ注意されたかは不明)。
 さらに第2戦も途中交代。今度は三塁コーチとなり、
「いつ球が飛んでくるか分からない。丸腰では怖いな」
 と話していた。

 長嶋を早めに引っ込め、コーチに置くのは、大洋の青田昇ヘッドコーチの提案と言われる(当時は監督ではなく、コーチでもよかったようだ)。巨人・川上哲治監督の、
「長嶋はかなりへばっとるんでなあ」
 という言葉を聞き、「だったらカワさん、こうしたら」となったらしい。
 記者からは「もし長嶋がバテたら大洋に有利になるのでは」と言われたが、
「しかし、それはしてはならんことだぜ」
 と言ったという。

 ちなみに第1戦の球場入りの際、もめたのが大洋のシピンだった。紺と赤のタテジマの派手なシャツにジーンズでやってきて、係員が不審者と思ったらしく、「ここから入ったら困ります」と必死に止めたという。
 ついでに少しシピン話を。
 趣味は釣り。来日時、バットではなく、釣竿を手に空港に現れ、出迎えた球団関係者を驚かせた。
 日本ではマリリー夫人と二人暮らしだが、夫人の趣味がカメラと8ミリフィルム(初出修正)。シピンの遠征にも同行し、日本各地を撮影していた。シピンもこれに触発されたか指示されたか知らないが、高価な16ミリを買って、どこでも撮影するようになっていたという。
 
 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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