3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 永淵と野村の確執?
今回は『1972年8月14日号』。定価は100円。
球宴に入団から3年連続ファン投票1位で選出されたのが、近鉄の殿下・
太田幸司だ。
三沢高時代、甲子園で人気が爆発し、近鉄入団後も若い女性ファンの圧倒的な支持を得ていたが、2年前の4万200票、前年の1万8700票にくらべ、この年は1万5000票あまりと確実に減っていた。
理由は若い女性の移り気だけでなく、実績。2年前は1勝、前年は0勝、そしてこの年は1勝での選出だった。
ただし、今回の1勝は球宴直前の完投勝利。相変わらず、人気先行は間違いないが、着実に力はつけていた。
球宴での態度も違う。これまでは隅っこに座り、ほかの選手と顔を合わせることすら避けたが、この年はベンチ中央に座り、相手チームにヤジを飛ばしていたという。
登板は3戦目の甲子園だった。理由について全パの阪急・
西本幸雄監督は、
「第3戦、セの先発は江夏(豊。
阪神)だろう。だったら太田には江夏と投げ合ってもらう」
と語った。
第3戦、実際に先発。1失点で負け投手にはなったが、3回表に無死一塁で三番・王貞治を遊撃フライ、四番・
長嶋茂雄を併殺打に斬って取った。
「確かに昨年より成長している」(王)
「本格的にぐいぐい力で押してきましたね。昨年に比べても堂々とした感じがありましたよ」(長嶋)
とONの評価も高かった。
オールスターの近鉄と言えば、
永淵洋三と南海の
野村克也の軽いバトルがあった。寡黙な永淵にしては珍しく、ベンチで騒いでいたら、野村が、
「君がしゃべっているのを見たのは初めてだよ」とボソリ。
これに周囲は大爆笑。すると永淵は、
「僕だってたまには口を開きますよ。必要以上のことはしゃべらないようにしてますが」
すると、野村が
「じゃあ、俺にも話しかけて来いよ」とまたもボソリ。
そのときは黙っていた永淵だったが、野村がいなくなると、
「僕は南海というチームが嫌いなんだ。だいたい永淵シフトを敷き始めたのもあの球団だからね。南海の人に愛想を振りまくことはないでしょ」
と毒を吐いた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM