ケビン・ミラー
コロナ禍の影響で助っ人たちの来日が遅れている。すでに来日してオープン戦に出場している助っ人もいるが、ごくわずか。やがて来日はするだろうが、開幕に間に合わせるのは難しいところだ。
助っ人が来る、来ない、で思い出すのが、2003年の
中日だ。
山田久志監督の2年目、中日は
レオ・ゴメスに代わる主砲として、フロリダ・マーリンズからケビン・ミラーを獲得した。2001、02年と2年連続で3割をマーク。31歳の現役バリバリのメジャーリーガーであり、2年契約で年俸総額は660万ドルだった。
「楽しみだし、期待しているよ」と山田監督。しかし、結論から言えば、ミラーは来なかった。中日に移籍させるべくマーリンズはミラーを自由契約選手にした。ウエーバー公示となるが、ここでレッドソックスが「待った」をかけたのだ。
これは日米野球の紳士協定を根本から覆す行為。メジャーから日本球界へ行くための手続きの最中、レッドソックスが横やりを入れた形である。当初はミラー自身も困惑し、中日行きを明言していたほど。すでにミラーは中日の支配下登録選手になっていた。
しかし、ミラーの心は徐々に日本から離れていった。夫人がメジャー残留を熱望している、アメリカとイラクの緊迫した社会情勢で来日が不安だ、と言い出し始める。やがてMLB選手会も介入し始め、球団間だけでは解決できない大騒動となった。
最後は中日が折れた。「来たくないという選手を無理に連れてきても仕方ないだろう」と怒り心頭の山田監督。期待のヒーローは完全な悪役となり、ミラーの代役として入団したのが
アレックス・オチョアだった。
ちなみに、レッドソックス入りを果たしたミラーはクリーンアップに座って活躍。移籍2年目の04年にはワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。アレックスも04年にリーグ優勝を成し遂げている。
それにしてもミラーの心変わりの理由は何だったのだろう。レッドソックス在籍時(03〜05年)に「チャンスがあれば日本でプレーしたい」と語っているが、どの球団もおそらく獲得に動くことはなかったに違いない。
写真=Getty Images