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巨人が巻き返しに多摩川の猛特訓/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

対照的だったのが阪神



 今回は『1972年8月14日号』。定価は100円。

 巨人が球宴を首位で折り返せなかった。これは1964年以来となる。1位の阪神には1ゲーム差、しかも3位大洋とも2.5ゲーム差と混戦状態になっていた。
 大きな要因が投手陣の崩壊だ。前年同期のチーム防御率2.53が、この年はなんと3.52となっていた。
 先発は14勝の堀内恒夫頼み。9勝を挙げ、救世主とも言われた菅原勝矢は左目の負傷で本格的な練習復帰もできない状態だった。

 この緊急事態に、オールスターブレークの7月21日から投手陣が1週間のミニキャンプを張った(多摩川)。
 まずは藤田元司コーチから言い渡された「外角低めに70球」のノルマを果たした後、「今年の勝負球」を磨く1日200球以上。6日間の通算では16時間以上、投げ込んだ。
「もう一度初心に返れ、です。そこまで追い込まれたことを分かってほしかった」
 と藤田コーチ。

 野手も負けじと多摩川に現れ、汗を流し、球宴組ではあったが、王貞治も球宴が終わった後、後半戦再開まで、朝から夕方まで鬼気迫る顔で打撃練習をしていた。
 王の特打は後半戦が始まっても変わらず、まずは炎天下の多摩川でたっぷり打ち込んでからナイターの球場入りをしていた。
 ただ、周囲からは炎天下の練習に単なる精神主義、疲れがたまるだけの批判もあった。

 対照的だったのは、首位の阪神だ。
「選手の自覚にまかせるんや。信頼感があれば選手も自覚してくれる。結構プラスがあるもんや。若いうちならともかく、出来上がっとる選手をやたらに練習で締めるのはどうかな」
 と金田正泰ヘッドコーチ。村山実監督から実質的に金田体制となって以降、移動日の練習がなくなり、練習量が目に見えて減っているという。

 では、また月曜日に。

<次回に続く>

写真=BBM
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