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宮國椋丞はDeNAの救世主になる?/川口和久WEBコラム

 

忘れられない甲子園の好投


入団会見の宮國。写真提供(C)YDB



 昨年限りで巨人を戦力外となっていた宮國椋丞DeNAと育成契約をした。
 ベイスターズは先発陣に故障者が多く、しかも外国人選手がまだ来日していないとあって、非常に厳しい状況にある。少し先の話だが、オリンピック会場になる横浜スタジアムを2カ月近く使えないこともあるし、三浦大輔新監督も頭の痛いことが多い。
 育成契約だから、決して高い評価での獲得というわけじゃないだろうが、先発も中継ぎもできる。ベイスターズにとって、いい補強になると思う。

 彼はドラフト2位で2011年にジャイアンツに入った。俺がコーチになった最初の年もある。
 性格はマジメ。おとなしくて、いつもニコニコしている子だった。高卒の入団だから当たり前だけど、荒削りだったが、長身で柔らかいフォームをしていたし、将来楽しみな投手だと思っていた。

 この年の秋季キャンプのシート打撃で投げているのを見て、「来年は先発候補。彼が投手陣を助けてくれるかもしれない」と俺が話して記事になったこともあった。

 迎えた2012年は交流戦、リーグ優勝、CS制覇、日本一、アジア王者とジャイアンツが5冠の年だったが、実は船出は最悪だった。2連敗から始まり、1つ勝った後、今度は5連敗。原辰徳監督と「厳しくなりましたね」と渋い顔をして話していたのを思い出す。
 ある意味、早々に切羽詰まっていた。

 このとき1勝7敗で迎えた甲子園の阪神戦で、宮國がプロ初登板初先発で勝利投手になってくれた。あそこからチームに勢いがつき、少しずつ乗ってきた。
 首脳陣にしてみたら、一番期待してなかった投手が勝ったという、うれしい誤算だし、ほかの投手たちの目の色が変わったのも大きい。
「あいつが勝ったんだから俺たちも頑張らなきゃ」ってね。
 よく若い選手の台頭でチームが浮上することがあるが、あのときもそうだった。

 実際、のちのちだけど、原監督も「あの12年の優勝は宮國がいなかったらなかったね。救ってくれたよ」と話していた。

 先発ではなかなか結果を出せず、俺が退団してからは、中継ぎで存在感を示していたが、右肩痛もあって20年はパッとせず、そのまま戦力外になった。
 28歳と若いし、肩ももう問題ないようだ。まだまだ間違いなく、やれると思う。

 ベイスターズでは先発として期待してもらっているようだし、これから必ず支配下になると思う。
 あのときの阪神戦みたいに、チームの流れを変えるピッチングを見せてくれたらうれしいし、その試合が俺の解説だったら、もっとうれしいな。

 頑張れ、宮國。元コーチのひいき目もあってだが、お前は絶対、何か持っている。きっとチームを救う存在になれるよ。
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