週刊ベースボールONLINE

週べ60周年記念

「天下分け目の大阪夏の陣」阪神─巨人3連戦その1〜阪神・金田正泰ヘッドがまくしたてた。「もう指揮権は返上や!」/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

衆人環視の中での暴行事件?


表紙は後列左から巨人堀内恒夫、大洋・平松政次、前列が阪神江夏豊



 今回は『1972年8月21日号』。定価は100円。

 8月4日からの阪神─巨人戦(甲子園)。球宴前までは阪神が首位だったが、巨人が抜き、巨人1位、阪神2位で迎えた3連戦だ。
 3試合ともいい試合だった。だが、舞台裏、というか阪神は特にゴチャゴチャしていた。
 今回はこの3連戦のREPORTから第1試合を中心にピックアップする。

 4日の初戦、試合前の阪神の主力の打撃練習が始まったころだ。実質的に指揮権を持つ金田正泰ヘッドコーチが現れ、
「ワシはこの3連戦だけは指揮を執る。しかし、その後はやめや。もう、誰がなんと言おうと絶対やめや。きのう社長に申し入れたんや。巨人戦が最後だとな」
 と記者たちにまくしたてた。

 シーズン開幕後、金田コーチは村山実監督が投手に集中するために指揮権を委ねられたが、一時的のはずが随分長くなり、その間、何度も「指揮権を村山監督に戻したい」と言っていた。
「これまでは球団の指示に従ってきたが、今度ばかりは、はいそうですか、と簡単にいかんのや。今までは筋を通すいうのが、返上の理由やった。しかし、今度は理由が違う。ワシは指揮官としての自分の限界を知ったのや」
 3日までの大洋戦3連敗もあっての発言だった。

 金田コーチが監督代行に嫌気がさしていたことも事実だ。1つは自宅までかかってくる「村山に指揮権を返せ」という脅迫電話。甲子園の客席に同じ文言が書かれた横断幕が張られたこともあった。
 さらに選手たちの反発。田淵幸一が「待て」のサインを無視し、怒ったら口をきかなくなったこともあったというが、「どうせ一時的な監督代行」という思いが選手の中にあり、多少軽く見られていたところがあった、というか金田コーチはそう感じていたらしい。
 それでも試合は9回裏サヨナラ勝ち。金田コーチは、
「見てほしい。この結集力。これが130試合全部に出ればいいんです。この調子で巨人をたたいて私は指揮権を返上します」
 と興奮した様子で語った。

 9回裏阪神の攻撃、サヨナラの直前にもめごともあった。
 走者一塁でカークランドがバントし、巨人の投手・高橋一三がセカンドへ送る。黒江透修は一度捕球し、審判はアウトのジャッジ。しかし走者の田淵のスパイクの後、落球するとジャッジがセーフに変わった。
 ここで川上哲治監督が「フォースプレーだからこれはアウトでいいんだ。捕球の後の落球だから君はアウトのゼスチャーをしたんだろ」と抗議。
 対して審判は「ボールの捕球が見えずに判断してしまった。ジャッジが早過ぎたのは私のミスでした」と言いながらもセーフのジャッジを変えず、13分の中断の後、試合は再開された。
 この間、熱くなったファン同士のトラブルは当時のTG戦らしい。原文で紹介しよう。

 暑い甲子園はいやがうえでも熱くなった。三塁側から巨人ファンらしいオッサンが出てくる。これをみて、一塁側からシマ模様の阪神私設応援団のオッサン。両者グラウンドで取っ組み合った。頭突き一発、二発。まるでプロレスだ。
 さらに右翼スタンドからも阪神ファン。頭突きのほか、キックもある荒れよう。とうとう一人のオッサンはながながとのびた。マンモススタンドはやんやの歓声。
 
 笑話になっているが、要は酔っぱらっていたのか、調子に乗っていちびった巨人ファンを阪神ファンが衆人環視の中で“締めた”、という話のようだ。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング