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前田智徳と高橋由伸 「平成最強の天才打者」はどっち?

 

天才的な打撃センスを誇った巨人高橋由伸(左)、広島前田智徳


 天才打者と呼ばれる強打者たちは血のにじむような努力をしてきたが、異次元の打撃センスで他の選手に一目置かれていた。平成の時代にこの天才打者の定義で、思い浮かぶのが元広島・前田智徳と元巨人・高橋由伸だ。150キロを超える剛速球、キレ味鋭い変化球をいとも簡単にヒットゾーンに打ち返す打撃技術はまさに芸術だった。前田と高橋由――あなたは「平成最強の天才打者」にどちらを選ぶだろうか。

若手のころから巧みなバットコントロールを誇った前田


・前田智徳
通算2188試合出場、打率.302、295本塁打、1112打点

 打席で醸し出す雰囲気は武士のようで、まさに打撃の求道者。本塁打を打っても首をかしげてダイヤモンドを一周する。「集中力が研ぎ澄まされた前田にはどこを投げても打たれる」と他球団の投手たちを震え上がらせた。

 攻守走3拍子そろったプレースタイルで1992年から3年連続打率3割。だが、95年に大きな試練に襲われる。5月23日のヤクルト戦(神宮)で二ゴロを打った際、一塁への走塁時に右アキレス腱を断裂。選手生命の危機に陥る大ケガでその後のプレーにも影響を及ぼすようになった。

 96年以降は足の故障で離脱する時が目立つようになり、万全のコンディションで試合に臨む日は少なかった。だが、その後も打率3割を8度マークするなど打ち続けたところに前田のすごみがある。2000年にシーズン途中で左アキレス腱の状態が悪化し、7月に腱鞘滑膜切除手術を受ける。79試合出場にとどまり、翌01年も27試合出場のみだったが、02年に打率.308、20本塁打でカムバック賞を受賞。05年は全146試合先発出場で打率.319、32本塁打、87打点で自己最多の172安打を放った。打撃技術だけでなく、強靭な精神力がプレーから伝わってくる選手だった。

 現役時代に対戦した落合博満は打撃指導の際、「前田は理想の打撃フォーム」と絶賛していた。07年に2000安打を達成すると、晩年は代打の切り札を務めて通算2119安打をマーク。前田本人はメディアの取材で否定するが、本物の天才打者だった。

爽やかな笑顔も魅力的だった高橋


・高橋由伸
通算1819試合出場、打率.291、321本塁打、986打点

 右足を高々と上げる打法ですべての球種、コースに合わせて完ぺきなタイミングでジャスミートする。求められる役割に応じて打撃スタイルを変える術を持ち合わせ、一番打者として起用された2007年は長打狙いに加えて出塁も意識したスタイルで打率.308、35本塁打、88打点をマークしている。当時の長嶋茂雄監督が「21世紀のスター」と絶賛した素材は1年目に打率.300、19本塁打でレギュラーに定着するとその後も松井秀喜清原和博とともにクリーンアップを結成し、7年目の04年に通算1000安打に到達。史上8位のハイペースだった。

 右翼の守備でもNPB記録の入団1年目から6年連続でゴールデン・グラブ賞獲得。だが、ファインプレーの代償で幾度も戦線離脱したことが選手寿命を縮めた。05年以降規定打席に到達したのは07年の一度のみ。09年は腰痛が改善せず手術を受けたため1試合の出場にとどまった。

 故障に泣かされたが、打撃に大きな衰えが見られたわけではなかった。15年は77試合の出場で打率.278、5本塁打。代打打率.395と勝負所で切り札として起用されていた。シーズン終盤に翌年も現役続行へ意欲を示していたが、原辰徳監督が15年限りで退任する意向を示して球団から監督就任要請を打診されたため受諾。予想しなかった引退劇に、「まだ誰よりも打てる」とファンから惜しむ声が多かった。通算1753安打は球団史上歴代7位。立派な数字だが物足りなく感じるのは、高橋が見せた才能があまりにもまばゆかっただろう。

写真=BBM
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