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プロ野球回顧録

20代は計149安打も…大器晩成で2000安打達成して名球会入りの「天才打者」は

 

外野手に転向して花開く


西武中日(写真)でスラッガーとして活躍した和田


「大器晩成」という言葉がこれほど似合う選手はいない。西武、中日でプレーした和田一浩だ。20代は計149安打。レギュラーの獲得も叶わなかった。ところが30代以降で1901安打をマーク。大輪の花を咲かせ、名球会入りを果たした。

 和田は岐阜商で2年春に控え捕手として甲子園に出場。東北福祉大では強肩強打の捕手として首位打者1回、ベストナイン3回を獲得した。社会人・神戸製鋼を経て西武にドラフト4位で入団する。

 だが、当時の正捕手だった伊東勤(現中日ヘッドコーチ)の壁は高かった。和田は週刊ベースボールの取材で「すべてで(伊東に)劣っていて、競えるレベルに達していませんでした。大変な世界に入ってしまったなという感覚はありましたね。焦りというよりも、力のなさを見せ付けられた気持ちでした。自分なりにはこれまで積み上げたものへの自信を持って入ったんですけどね。レベルがちょっと違ったので、まだまだ厳しいなと感じました」と振り返っている。

西武に入団した97年か01年までは捕手登録だった


 だが、捕手として球団の期待は大きかった。2001年には松坂大輔と開幕戦でバッテリーを組み、その後も松坂が登板日にマスクをかぶる。しかし、守備位置は捕手のほかに外野も守るなど固定されていなかった。同年は82試合出場で打率.306、16本塁打と非凡な打撃センスを見せる。翌02年。新たな指揮官に就任した伊原春樹監督の意向で外野手に転向する。

「いや、もう、未練はメチャクチャありましたよ。やっぱり、ずっとキャッチャーをやってきて、自分はキャッチャーで成功するものだと思ってプロ野球選手になりましたから。まさか転向するなんて全く思っていなかったので、残念な気持ちはすごくありました」と明かしている。だが、このコンバートで人生が大きく変わる。

「今、見ていても、プロのキャッチャーというのはすごく難しいですしね。自分がそれを練習して、そこまでのレベルに到達できたかと言われれば分からない。そういう意味では、外野手に転向して良かったと思います」

 外野手に専念した02年に初の規定打席に到達し、打率.319、33本塁打と大ブレーク。02年から3年連続30本塁打を放ち、05年には打率.322で首位打者を獲得する。35歳の07年オフにFA移籍で中日へ。「リーグが変わっても何とかなるんじゃないかと思っていました。気にかかっていたのはやはり年齢の部分。自分がチームに必要な存在になり得るのか、とは思っていました」と不安はあったが取り越し苦労に終わる。新天地でも打ちまくった。移籍初年度の08年から3年連続打率3割をマークし、38歳の10年に打率.339、37本塁打、93打点でリーグMVPに輝く。史上最年長の42歳11カ月で通算2000安打を達成した。

独特の打撃フォームで


15年には史上45人目の2000安打を達成


 打撃フォームは独特だった。バットを上段に構えて上下に揺らし、オープンスタンスから左足を高く上げ、全身を回転させるようにして振り抜く。背筋の強さと右手の押し込みにより、ボールを手元まで引きつけて強い打球を放つ。ミート能力が高く、逆方向にも長打を飛ばした。年齢を重ねながらも高い水準の成績を残す秘訣についてこう語っている。

「打ち方というのはちょこっとずつ変えていますし、いかに理にかなって打つかをすごく大切に考えています。年相応の打ち方をしていきたいなと考えています」

「理にかなった打ち方をすれば、10の力ではなく8の力でもヒットやホームランを打つことはできます。いかに少ない力でも効率良くバットを振るか、という発想です」

 20代で一度も規定打席に到達せず、34歳までに1000安打達成がなかった選手で通算2000安打を放ったのは和田が史上初。球界の常識を覆した成長曲線がすごさを物語っている。また、通算2000安打だけでなく、史上3人目のセ・パ両リーグ1000安打を達成している。現役通算1968試合出場、打率.303、319本塁打、1081打点。43歳までプレーし、現役19年間で2050安打を積み上げた。人間はいつ花開くか分からない。和田の生き様に勇気づけられた野球ファンは多いだろう。

写真=BBM
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